第三話は、サ・ヘジュンとジョンハが次第に仲良くなっていくお話でした。
お互い痛みを共感したり、心を穏やかにできる場所をお互いに見つけたようです。
この会は、ピックアップしたいフレーズが7つもあったので、さっさと始めますね。
「俺の頃は、が出たら、'黙っていうことを聞けということだ(라테는 말이야'가 나온다면 넌 이제 조용히 듣기만 하라는 뜻이다)」
こんな大人にはなりたくない!と、サ・ヘジュンとジョンハが誓うシーンです。
若い時って、大人があたかも正論のように昔やってきたことを強制するんですね。
だからなんだという話です。
「それは大変でしたね」「そんな事もあったのですね」と、さらっとかわすのが一番です。
「ダメと思ってできると思う?(안될 거라고 생각하면서 알아보면 되겠냐?)」
家族て唯一のサ・ヘジュンの味方、おじいちゃまは、昔モデルや芸能を志していたのですが、人に騙されてその夢を途中で諦めてしまい、その借金を背負った息子から馬鹿にされています。サ・ヘジュンもまた、唯一のおじいちゃまの味方なのです。
そんなおじいちゃんは、苦労をかけた息子にお小遣いをあげたいという思いがあり、サ・ヘジュンに職探しを依頼します。
”いい仕事先はあるかな、、”と呟くサ・へジュンに、ジョンハが言った一言。
これはとても大事な言葉で、あるのではなく、あるものを探す、それが大事なんですね。
つまり、ないのではなく、ないと思っているからないということです。
頭がこんがらがりそうですね。でも、これは大事な考え方なんです。
希望のない人に希望は見えないし、ネガティブしか探さない人にはネガティブしか見えないものです。
「お母さんの人生とあなたの人生は違うんだよ(엄마 인생하고 네 인생은 다른 거야)』
サ・ヘジュンのお母さんは、周りから放任主義と言われたりするのですが、息子にとても大事なことを伝えます。
家庭が裕福でないサ・ヘジュンのお母さんは、息子の親友の家で家事手伝いをすることになります。
それを打ち明けた時、サ・ヘジュンはショックを受けるのですが(なんせ、知らぬ間に親友のお下がりを着ていた・・)
”あなたが嫌なら、やめる”と、お母さんは言うのですが、その時の一言。
”お互いの人生を尊重して応援しよう”そんな約束をします。
「生きていたら私が本当によくしてあげるのに(살아 있으면 내가 진짜 잘해 줄 건데)」
息子と上記のような約束をするお母さんですが、10年経っても家庭が苦しいのは変わらず、息子に何もしてあげられていないと負い目を感じてしまうのです。
そして、早くに亡くしたお母さんに会いたくなって、こう言いました。
生きているうちに親孝行ができるのはとても幸せなことだけど、”あなたは十分頑張っているじゃない”、と言ってあげたくなりました。
「1人でいるようで、誰かと一緒のような感じ(혼자 있는 듯 누군가와 함께 있는 느낌
サ・ヘジュンとジョンハがあっているときに、よく雨が降り出すんです。
この日も雨が降ってきて、寒さを和らげようと、サ・ヘジュンは自分の首に巻いているスカーフをかけてあげるんです。
スカーフしてるメンズ、なかなかいないけど、ボゴム先輩はしているんです。トップモデルですから!
そんなスカーフの温かさを感じてバスに揺られているジョンハの心の声です。
形あるものだとわかりやすいけど、温もりというのは、目に見えなくても心を和らげてくれますよね。
一人なのか、一緒にいるのか、よくわからなくなるくらい心が通じ合ったのでしょうね。
「比べたり競い合うわないことが正しいと誤魔化してた(비교하며 경쟁하지 않는 걸 좋은 성품이라고 속였다)」
親の力もあり、自分より売れていくのに、お仕事を回そうと気を遣ってくれる親友へヒョに、サ・ヘジュンはおい目を感じ始めます。彼が映るC Mの電光掲示板を見て、彼はこう思うのでした。
喧嘩はしない、みんな仲良く、争ってはいけない、そんなことを小さい頃教えられるのに、実際はどうでしょう。
血を流さないあざのできない、外傷の見えない傷ってたくさん負いませんでしたか?
自分を犠牲にしてまで他人を助けることはできない、他人を助けるためにはまずは自分に余裕がなければ、喧嘩もしたくなるし、仲良くもなれないし、争ってしまうものです。
悔しい、情けない、羨ましい、この気持ちは決して醜いものではありません。
この気持ちを無かったことにせず、どうやって消化していくのかが大事なことなのですね。
「毎日に喜びを(お店の看板)하루하루 기뻐」
近所のお店の電光看板で、もやもやしたシーンで、ちょくちょく映り込みます。
色々あるけど、毎日に小さな喜びを一つでも見つけ、感じることができたら、幸せですね。
「これ以上、あなたに傷ついてほしくないの(이제 네가 그만 상처받았으면 좋겠어)」
お母さんが、一度諦めると俳優の道をリセットすると決めたサ・ヘジュンに映画の脇役のオファーが舞い込み、彼はお母さんに”もう一度頑張りたい”というシーンで、お母さんの言った一言。
あなたと私は別の人生と言いながらも、やはり子供が傷つく姿というのは辛いものなのでしょう。
でも、これって本当にそうかというと、やはり違うんですね。
子供が傷つくことを知ったら辛いだけで、それに気づかなければ、この言葉は出てこないんです。
”あなたが傷つくのは辛いけど、傷付いたらいつでもそばにいるからね”こう言って欲しいのが子供の気持ちです。
「父さんが俺の人生を生きてくれるわけじゃないだろ!(아빠가 내 인생 살아 줄 것도 아니잖아!)」
アボジは、若い頃優秀だったのに、おじいがお金に騙されて、余儀なく働く羽目になり、家庭を支えました。
大工さんをしていて、肩を壊してしまうのですが、自分の人生を後悔しているところがあり、それをおじいのせいにしていたり、もどかしい次男 サ・ヘジュンに投影してしまい、ついつい厳しく当たってしまうんです。
この時も、一度行くと決めた兵役を伸ばして、もう一度映画に賭けたいと言った息子に怒鳴り散らして、サ・ヘジュンに言われた言葉です。
後悔しようが、辛かろうが、人生というのは変わってあげることはできないので、自分で選択することが後悔しない方法です。
たとえ失敗しても、ナイスファイトと自分を労い、責める必要はありません。
そして、仮に周りに失敗した人がいたとしても、”だから言わんこっちゃない”といった対応ではなく、”頑張ったね”、”悔しいね”などと共感してあげることがどれだけ相手の救いになるか。
アドバイスや説教をしたらマジでダメです。
しかし、この兵役というのは韓国の男性にとって、良くも悪くも一つの大きなイベントです。