「反逆の民」どもに「最後のとき」が迫っている。
さいしょに、テストをしておこう…
『推しの子』の直近の一場面…ここで「きづく」人は、合格。
キリストが、「怒りの神ではなく、愛の神だ」と言った意味がわかるかどうか。
あるいは、「仏様」に「慈愛」の表情と「憤怒」の表情がなぜあるのか…
もっといえば、家庭の事情は様々なので一律ではないが…
父親や母親が、どうだったか…
「親代わり」になってくれた人は、どうだったか…
思い出してみよう…
さあ、気づいたかな?
日月の神民は、「祈りと学び」を生活の中心に据え、
変な「運動」には関わらないように。
一定の距離を取り続けておくべきである。
「ミロクの世」などと言っているが…
ミロクさまは、どんな菩薩様だったか、わかってるかね?
まあ、わかっていたら…
「日本人は優秀」デマには引っかからない。
「優秀だから(神に)選ばれた」とする悪魔教にも染まらない。
むしろ、
「神に選ばれし者たち」は、「出来損ない」であり、バカである。
それは、なぜか?
ときどき、この件については話してるんだがね~
まだしていないはなしをいずれしようと思うが…
ざっくり「答え」を言っておくと、これは『呪術廻戦』にでてきているのだ。
それは、これ(↓)
「優秀だから」というよりは、むしろ「おもしろいから」だ。
『どらえもん』のキャラでもそうだろ?
「できすぎ君」と「のび太」と、どっちが「おもしろい」?
ダメダメ野郎が「奇跡」を起こすから「おもしろい」のだ。
だから、主は、この「だめだめ太」たちのために「天才」を与えた。
愚劣な子羊たちに「羊飼い」という導き手を与えた。
ところが、この「子羊」たちは、アホすぎて、しばしば道に迷う。
「羊飼い」の言うことを聞かず、「反逆」するからである。
そうなると、いくら「慈愛の神」でも裁きを加えないわけにはいかなくなる。
「み親のこころ」をわからぬ不信心者ども…
悔い改めよ!!
「み親のこころ」がどうしてわからないのか?
何のために「ラビ」たちをおまえたちに差し向けたと思っている?
思い上がるな!バカども!!
それでも…
なんだかんだいって、バチアタリどもは、
愛されているし…
赦されている…
それこそ「理不尽」なことなのだが…「理由」があるのだ。
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⇒ 【駅で巨大地震】すぐにここへ逃げろ!駅で地震が発生した時の防災
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金融覇権をめぐる「通貨リセット」の動き急。
◆ 戦争拡大
⇒ イスラエル軍、ヒズボラ司令官殺害と発表 ベイルート空爆で
◆ 死刑判決
1937年8月15日の非人道的南京空爆から10年後…
「因果は巡る」で、日本中に「バチ」が当てられた…
1948年11月13日には、東京裁判で「死刑判決」が下されている。
しかし、日本の新聞は、このときも遠慮がちにひっそり伝えただけだった。
「自分に都合の悪い事実には耳を塞ぐ」という日本人の「反逆の民」ぶりは、
いまもまったく改まっていない。
南京の残虐行為についての松井岩根への判決文
中支那方面軍を率いて、かれは1937年12月13日に南京市を攻略した。
修羅の騒ぎは、
1937年12月13日に、この都市が占拠されたときに始まり、
1938年2月の初めまでやまなかった。
この6,7週間の期間において、
何千という婦人が強姦され、十万以上の人々が殺害され、
無数の財産が盗まれたり、焼かれたりした。
これらの出来事が最高潮にあったときに、すなわち12月17日に、
松井は同市に入城し、5日または7日のあいだ滞在した。(中略)
本裁判所は、何が起こっていたかを松井は知っていたという
十分な証拠があると認める。
これらの恐ろしい出来事を緩和するために効果のあることは何もしなかった。
彼は、自分の軍隊を統制し、
南京の不幸な市民を保護する義務をもっていたとともに、その権限ももっていた。
この義務の遂行を怠ったことについて、
彼は犯罪的責任があると認めねばならぬ。
(--)b エゼキエルに主が申し渡したのとおなじ「責務」がここで問われている。
裁かれた7人のA級戦犯のうち、
松井が他の6人とは違って「侵略戦争の計画と遂行」の責任ではなく、
「残虐行為阻止についての不作為」が裁かれたことについて、
多くの国民が「わかっていた」とはいえない。
それどころか、自分たちが「戦争被害者」という認識しかなかった。
また、新聞もそのことについて深く議論しなかった。
(--) 自分たちの「加害責任」を問うてこなかったがゆえに、
「野放し」にされた悪魔教権力によって、いま日本国民は裁かれている。
この「裁き」は止まらない。
なぜなら、悔い改めない人間のクズばっかりだからである。