いのちをつなぐ・差別と暴力と狂気の時代に | バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画

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【著作権フリー・人はだれの所有物(奴隷)でもありません。身も心も、著作物も所有物ではありません。所有し、支配してはならないものです。】幸徳秋水死刑100年の怨念、乃木希典自刃100年の無念を引き継ぐ”呪い”のブログ…

うしなって

 

初めて知る

 

あなたの

 

大切だったもの…

 

 

魔族に一族を滅ぼされ…

 

助けられた魔法の師匠とも、我が身の長寿のせいで生き別れ…

 

失うことの怖さから…

 

ヒンメルと向き合わずにい続けたフリーレン…

 

 

新たな仲間たちと「やりなおし」の旅に出るフリーレン…

 

さて、日本人も「やりなおし」の旅に出られるのか?

 

⇒ ファティマ第三の預言とお経に書かれた未来が一致!?

 

 

第一の予言…地獄の実在

 

第二の予言…世界大戦の始終

 

そして、第三の予言で教皇は、あわや失神しそうに…

 

 

 

 

現在の日本の状況、そして、世界の状況は、語り継がれている「亡徴」そのもの。

 

お経だけでなく、聖書にも同じような描写があります。

 

 

淫行に耽り、不自然な肉欲に走り、権威あるものを蔑ろにした者…

 

キリストの支配する1000年の後に、悪魔が解き放たれ…

 

それによって、そうした不信仰な者たちの時代になり…

 

最後にキリストが再臨し、このバイキンどもを滅するわけです。

 

 

しかし、そうならない可能性もあり、

 

それが三木大雲氏の危惧するお経の中の「予言」です。

 

 

われわれは、どちらの「世界線」を選ぶことになるのでしょうか?

 

 

毎月のように銃撃事件が起きている、かの「差別と暴力」の国で、

 

ついに危惧していた「事態」が起こりました。

 

テロと犯罪が常態化しているこの国で「マトモな選挙」は行われるのでしょうか?

 

 

この国は、預言書のとおりの末路を歩んでいるようにしかみえません。

 

一方、犬であり、ブタである、その属国も…

 

その歴史から見ても、「運命を共にする」公算、ますます大なり、なのです。

 

 

⇒ 触れた政治家が次々と消える日本の黒い闇

 

 

 

 

さて、きょうは前回の補足として、

 

なぜキリストが旧約を新約に改めたのかについて述べましょう。

 

 

よしさんの考察では(考古学的根拠がない)旧約も新約も「作り話」であり…

 

元ネタは、古代エジプト王朝史とゾロアスター教にある…そうなんですがね…

 

ただ、もともとが「作り話」であったとしても、

 

それらは正しく作り直されていくものなのです。

 

たとえば、「ソクラテス」はもともとはちょっとおかしなおっさんだったのが…

 

プラトンにより、「偉大なる哲人」として描かれるようになった。

 

そうやって「作られた哲人」は「正しい」のです。「完全」なのです。

 

しかし、アスリートでさえ…

 

「完全なプレイのイメージ」を作って、それを追いかけます。

 

そのイメージが明確化してこないと、「奇跡」も起きないのですね。

 

だから、

 

「実像がどうだった」というのは、案外、「どうでもよい」のですよ。

 

 

大事なのは、ひとりひとりが描くイメージであり、

 

その普遍性…あるいは、実現可能性の方なのです。

 

 

それで話を戻しますと…

 

イエスは、「我らの神は怒りの神ではなく、愛の神だ」と述べたのですね。

 

契約主義、形式主義は、連中のビジネスのやりかたそのものに表れており…

 

「契約書に書いていないことは、やらなくてよい」

 

「そのことで相手が不快になっても、それは自分の責任ではない」

 

…と、こういう思考になる。

 

いろいろ気を利かせてサービスなどしようものなら、

 

「余計なことをした」と叱られかねない。

 

こういう態度の料理屋であなたは食事がしたいですか?

 

細かく味の注文を出さなければ、まずくても

 

「あなたが言わなかったから」と言われる。

 

 

神様も同じですよ。

 

契約だけ、杓子定規に守って、「自分たちは契約の民だ」と…

 

「は?なに、おまえら!」ってなるわけですよ。

 

 

本当の意味での「信仰心」が、連中には欠けているのです。

 

 

だから、あえてイエスは、休日に「癒し」をしたりした。

 

杓子定規にしか「善悪」を判断できない律法学者たちに異を唱えた。

 

 

そうしたら最終的に十字架にかけられてしまったのですよ。

 

 

彼ら形式主義の契約原理主義者どもは、いまも同様の罪を重ね続けています。

 

 

彼らには、「愛」がない。「まこと」がない。「たましい」がない。

 

あるのは、肉体だけ、物質だけ、欲だけ、好き嫌いだけ…

 

 

「自由主義」という名の「無法主義アナーキズム」…

 

「平等主義」という名のルサンチマン…

 

 

ダブルスタンダードで、「法の支配」を破壊。

 

侵略経済を「資本主義」だの「自由経済」だのと呼んでいる。

 

 

彼ら魔族は、審判を下すべき者たちを選別するために「降りて」きた。

 

 

日月の神民は、間違っても、そんなものについていってはいけませんよ。

 

 

ちゃんと「天帝」を「召喚」しないといけない。

 

ゆえに、フリーレンのような「やりなおし」の旅に出る必要がある。

 

 

うしなったものというのは、十中八九、とりもどせないのです。

 

自分で捨ててしまったものなので、余計にとりもどせない。

 

 

十中八九、とりもどそうとすると、災いが起きる…

 

 

だいたい、…そもそも…

 

必ず何かしら「代わりに与えられたもの」がある。

 

たとえば、「失業」すれば、「時間」が与えられている。

 

その後、「別の仕事」が与えられたりする…

 

そんなときに、「以前の仕事」や、そこでの「地位」「実績」にこだわっていると?

 

新しく与えられたものまでうしなうのです。

 

 

うしなったものに「思いを馳せる」ということは、

 

必ずしも、それを「とりもどす」ためにすることではない。

 

 

いつでも、いついかなるときでも…

 

いま、あなたに「与えられている」ものがある。

 

 

「みえてくる」とは、そういうものが「みえてくる」のであって、

 

結果、「気づき」や「目覚め」につながるのです。

 

 

与太話に「洗脳」されて、「その気になっている」ことでは断じてありません。