けさの黄泉売りは…「憲法改正 賛成 63%」とある…
聞き方にもよるんだけれども…
額面通りに受け取れば、現実の見えていない者が6割…
言い換えるなら…「腐ったみかん」が6割…
ぐれんとひっくりかえって、すべてが3分の1になる…
つまり、その日が近づいたのかも…
ぞっとするね…
でも、わくわくする…
いろんなものを僕らは失うが…そのときにじつは…
それ以上のものを神様は与えてくれるのだ。
愚か者は、過去にこだわりすぎ、いつまでたっても受け取らない。
こころに「区切り」「踏ん切り」をつけることは大事だが…
その期間は、新たに受け取るための「準備期間」でもあるからね…
だから、いつかは受け取るべきなのである。
おめでとう!
きっと、あなたは、いずれ受け取るだろう…
だから、いまは…
まずは、とにかく…
神様と「つなが」ろう…
真言(や祝詞)を唱えるとは…ぶっちゃけ、こういうこと!!(↓)
すると神様は…こうなる!!(↓)
キモオタ諸君なら「おぼえ」のあること…これを「応用」するだけなんだよ。
人生、なにが「効いてくる」か、わかんねーな!!
まずは、きょうの解説の前に観ていただきたいのは…
いつぞやの紹介動画の続編…
イエスは、なぜ、彼女のところに「降りてきた」のか…
自分の生まれてきた意味を、
「臨死体験」ですべて「思い出した」!!
野球やサッカーでも、
プロが少年たちに教えるとき…
少年たちは、ちょこっとうまくなるはずである。
僕らも同じように、
バリバリの「陰陽師」のようにはなれずとも…
ちょっとは「呪術」みたいなものが使えるようになるのである。
そもそも元を辿れば、
仏教も神道も起源はシュメール以前、エジプト時代にまで遡る。
つまり、すべてもとをただせば「ひとつ」…
自分たちだけが「神様に選ばれた」などという物語は錯覚に過ぎず…
偉大なる「中二病」なのである。
それでも「神様とつながる」ことができるかどうかの違いはある。
「現世利益」を悪く言う人々もいるが…
厳密なことをいえば、今生で悟りを開ける者などほぼ皆無である。
それでも、「悟りとは、こんなものだ」みたいな疑似体験があれば、
凡夫にも「救い」や「希望」が生まれる。
少年たちが、プロの手ほどきを受けて、ちょっぴりうまくなり…
野球やサッカーを好きになったり、選手になることを憧れたり…
そういう「現世利益」が「わるい」はずがないのである。
「加持祈祷」というが…
如来の光明が、人のこころに映ることを「加」といい、
その光を人が、心に感じることを「持」という。
「加持」で、仏と人のこころが響きあうことを示す。
これ…まさに「降りてくる」ってやつの一形態と言えるだろう。
「即身成仏」とか「即身是仏」も、このことを言う。
歌や競技の会場で演者と観客が「ひとつ」になっているような状態ともいえる。
また、そういう状態をつくるために「曼荼羅」などをつかうが…
要するに「イメージ」である。
「偶像崇拝ではないか」と言われたりもするが、これは「方便」にすぎない。
はじめて自転車に乗るときにつける「補助輪」のごときもの。
そして、
なぜ、その「方便」が許されるのかといえば…
「一切は空」だからである。
「一切は虚」であり「一切は仮」である。
つまり、「とらわれがない」…
すなわち、「自由」ということ…
だから、極端なことを言えば、
曼荼羅に描くのは神様である必要もない。
アニメのキャラでもかまわない…
なんでも…「決めつけ」てはいけない。
一見、邪道に見えても、そうではない場合というのはあるものである。
「守」、「破」、「離」である。
ただし、この奥義に至った者が、これを悪用してくるとなると恐ろしい。
「イルミ」は、ひょっとして、そういうことをやっている?
まあ、とにかく、そういうことだったりすると大変である。
まずは、ちょっとでも「つながる」ことが大事…
さらに強力な…「ひふみ祝詞」…
まだ「お気に入り」にしていない人は、どうぞ!!
ひふみ
よいむなや ことも ちろらね
しきる
ゆゐつわぬ そをた はくめか
うおえ
にさりへて のます あせゑほれけ
⇒ 【重要】ヒフミ祝詞の"意味"と隠された秘密 〜秘宝『十種神宝』とシュメール文明〜