立憲ホモクラティックが、ファッショ政党であることを
自ら証明してしまった更迭劇でした!(-∇-)
与党批判が「週刊誌」だのみってところからして、もうオワコン確定!
しかも、「単語切り取り」で「印象操作」が常態化するマスコミ…
それって…
( ̄Λ ̄)9m 人格権侵害だろ?
「編集権」なんかで、正当化できるのかよ?
日本の司法も、これを裁かないというのは、無能が過ぎる!!
( ° д° )b 一方、USAips は、F16の供与まですると言っている。
是が非でも、プーチンに核のボタンを押させたくて仕方がないようだ。
(--) そういうイカれた国だから、「同性婚」なんて言ってるんだろうけどね~
きもちわるい!!
とある企業は、
「同性パートナー」でも、他と同様の手当てを出しているらしいが…
別に、そういうのは、全然いいんだよ。
個人や企業の裁量でやる分にはね…
そして、「家族の定義」のひとつを「生計を一にする生活単位」として、
「みなし家族」として、できることをやればいい。
それを「同性婚」とか、異性婚との差別だとか、
そういう気持ち悪いことをいうから話がややこしくなる。
必ず「同性婚はいいのに近親婚はだめなのか」みたいな話になるから!
司法も違憲判決するなら、そういう事態の出来にちゃ~んと責任をもってもらわないと!!
それと、「よかれ」と思う法制度は、必ず悪用される。
「給付金」なんか、まさにそうだよね?
「生活保護」も「貧困ビジネス」に悪用され、
それに弁護士などのバッジ族が関与している。
けっきょく、
「ポリコレ」は、そういう連中のカネもうけが本当の目的なのだ。
みんな、みんな、公金に群がる寄生虫!!
日本社会の「サル化」が粛々と進んでいる!!
せっかくなので、「拾い読み」してみよう…(秋水編集)
ジョン・ロールズの『正義論』で論じられた…
「正義にかなう社会」とは、どういう原理に基づいて成り立つのか…
´は、1970年代以降、欧米では重要な学術的命題であった。
それを受けてのアヴァイシャリ・マルガリートの仕事が…
『品位ある社会<正義の理論>から<尊重の物語>へ』であった。
だが、その試みは、ロールズの方向とは真逆に探究が進んでいった。
学術的には、「正義にかなう社会」とは、いかなるものかが精密に示されたが、
現実の世界もまた真逆に進んだ。
(--)b 当ブログでも指摘してきた「あべこべ化」だ。
( °-°) お釈迦様はとっくの昔に「凡夫の顚倒」を述べているけどね~
(般若の智慧を得ることで「空」を体得し、その顚倒は乗り越えられる)
まあ、内田樹氏も、自身が「民主主義」を求めてやってきたら
社会が壊れてしまった…と本書の冒頭部分で述べている。
当ブログでも、これは言ってきた。
民主主義は、大衆のためになるはずの政治体制だが、大衆自身がそれを破壊すると。
彼らは、ブタであり、サルであり、自由も人権も求めはしない。
求めるのは、ブタらしく、サルらしく…
「権力への意志」…この場合は、
つまり、「特権」であり、「ワガママの実現」である。
すなわち、「自分こそは<特別な存在>である」と、自他に認めさせたいのだ。
さらにいえば、「中二病」であり、「ナルシズム」である。
『正義論は、正義の実現に有効なのか?』
この問題意識から、先のマルガリートは、
「正義にかなう社会」に対して「品位ある社会」というアイデアを立てた。
(--)言い換えれば、たとえば…
民主主義の実現が、
必ずしも「民主的な方法」によるとは、かぎらない…ってことだろう。
うんこ脳科学者には理解できなかったことだが、
こどもの自主性・主体性を育てるには、
「服装の自由」は、むしろよくなことが多いという事実…
これらは、現場での「経験知」によって導かれるもので、
しばしば、マスゴミどもが、無視する「知恵」なのである。
…ったく、八つ裂きにしても足りぬほどの罪業を
マスゴミどもは犯してきたのだと知らしめねばならない。
まあ、あとははしょるが…
「品位ある社会」とは、「屈辱を与えない社会」だとしている。
そういえば、社会福祉の制度など、
受益対象者に「おまえは二級市民」という「屈辱」を与えるところがある。
「制度設計」から、それが組み込まれているようでは「品位ある社会」ではない…と。
(--)ノ しかし、まあ…「悪用」もされるし、「コスト」もかかる…
「屈辱」というか、「感謝」というか、そういうのが「ない」…つまり…
あまりにも、「あたりまえ」に、それらを受益するのも、別の問題があるだろう。
そんなこともあってか…
「こうすれば万事解決」なんていう処方箋は、どこにも提示されない。
「考え方」だけが、提示されるのみなのだと。
…ってか、現実は「いきもの」だから…
将棋でも囲碁でも、麻雀でも、
「こうすれば必ず勝てる」なんて処方箋はないのだよね。
問題は、
なんで、そんな「都合のいいもの」が「ある」と思ってしまう輩が多いのか
…であり…それこそ…
「前世の因縁」というアイデアでももってこなければ、説明不能だったのだ。
実際、「負の数」とか「虚数」とか「無限」とか…(数学のような…)
「現実にはない(かもしれない)もの」を使って、人類は問題を解決してきた。
神様、仏様というのも、そういう類のものであり、
それを現代人はとくに粗末に扱っている。
みんなが「神様」と呼んでいるものの多くは、悪魔である。
現代人は、悪魔を「神様」として崇めている奴が、とても多い。
そして、「因果応報」の摂理によって、この者たちには…
いよいよ天罰が下り、あるいは、下されようとしているのである。
【オマケ】
リブログ代わりに過去記事貼り付け…
以下は2010年の記事…
⇒ 人として生きる
