「人は生まれながらに自由である」…
…というのは…
「人は、自分の思いどおりにはならない」…
…ということであり、
「支配できない」あるいは、「支配してはならない」存在だ…
…ということである。
しかし、人は人を支配したいと願い、しばしば支配してしまう。
人が人でなくなっていくのは、そういうところから始まるのである。
だが、それにしても、
人はなぜ支配されてしまうのか?
支配される側が、
それを受け入れるからである。
つまり、「合意」の成立…
本当は「同意」していなくても、
きちんと拒絶しなければ「合意」とみなされる。
そして、ふつう「法」は、その「合意事項」を「守る」のである。
ついでに補足すると…
いちど「合意」をしてしまったのに、あとから「あれは無し」とやるのは…
要するに「約束を破る」ということであり、法の根幹を歪めかねない。
何の話をしているのかわかるかな?
最近、そういう懸念を生じさせる法案が審議されているよね?
だが、きょうの本題はその部分の、もうひとつふたつ前の段階の話である。
「ひとつ前」とは「合意」成立で、「法」はそれを守る…のところだ。
ひとが法に従うのは、「合意」しているからで、「法の支配」を受け入れたからである。
そして、その「もうひとつ前」とは、
「支配される側」が
「支配」それ自体を受け入れるから「支配」が成立する…という段階である。
なぜ、「支配」を受け入れてしまうのか?
ここは、恋愛ゲームともかなり共通する部分があるので、それを使ってみよう…
ビッチの戦略…タネ馬野郎の「好きなもの」をチラつかせる…
ナンパを「陸(おか)釣り」と言うがごとく、「エサ」で釣る…
相手に「欲しがらせる」…
人は、「欲しいものを得ること」が「自由」だと思っているから…
だが…
大抵、このように、実は「支配」されてしまうのである。
しかし…「欲しがらせている」つもりが、自分の方が欲しがってしまう場合がある…
ここは、権力もいっしょで…
人民を支配しようとして、エサをばら撒いて「欲しがらせる」のだが…
それ以上に権力は、
実は「人民の支持」あるいは、「人気」を欲しがってしまうのである。
また、「ポピュリズム」とは、そのような状態をいう。
恋愛ゲームでも権力ゲームでも、主導権を取ろうと思ったら、
こちらが「欲しがって」しまってはいけない。
相手側に「欲しがらせ」なければいけない。
また、相手の欲しがるものを、こちら用意できていなければならない。
とはいえ、こちらが単に支配されないというだけでよいのであれば、
そんな苦労も手間も必要ない。
「欲しがらない」、「足るを知る」は、
権力に対して主導権を取られないようにする第一歩である。
先進国ズラの諸国は、こう言う…
「我々は、豊かになった」と…
「豊かになった」というより、
「餌付けされた」、「飼い慣らされた」と言った方が的を得ている感じがする。
いろんなものを失う一方で、
そんなに欲しくもなかったものを、もったいぶって与えられてきた感じがする。
より欲しがった方が、より怖がった方が、主導権を握られる。
政治や行政にいろいろとして欲しがるほどに、こちらが支配される。
恋愛ゲームなら、それも楽しいかもしれないけれど?
政治にいろんなものを要求すると、うまくいかない理由がそこにある。
「権力」とは、「アメとムチ」だと言われる。
「欲」で釣り、刑罰などの痛みと恐怖で脅すのである。
だから、逆に…
欲しがらない者、怖がらない者は、権力は「支配」できない。仕切れない。
だが…人々は、自分から「支配」を受け入れる。
ビッチにタネ馬が「騙される」のも、権力に国民が「騙される」のも、リクツは同じ…
政治もまた…1ミリも国民のことなんて考えてはいませんよ…
「釣る」ために必要な「エサ」の分はもらえますが…
そのあとに「釣り上げられる」わけですからね~
国民は、み~んなたぶらかされたいのですよ。
だから、当ブログの忠告も聞くわきゃないwww
だから、いまも刻々と国民は、「黒歴史」を刻み続ける…