スパイ映画のイメージで「スパイ」を考えてはいけない。
外交官やジャーナリスト、大学教授等々が、しばしば”工作員”であるか、その関係者となっているものだ。
それで、日本にせよ、中国にせよ、そうしたものに”監視の目”をつけ、取り締まろうとする。
スパイが収集する情報の9割は、公的な一般情報であり、何ら違法なものではない。
だから、スパイはそうした世界に潜り込み、ふつうの研究者や発信者に混じって活動していて見分けがつかない。
また、そうであるからこそ、みだりにスパイ防止法なんてものを作ると、とんでもないことになる。
それは”知る権利”の否定につながるのである。
そして、次に…スパイ組織は、哲学に通じ、各国の歴史や文化、宗教に通じている。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」…
国民一般なんかよりもずっとその国のことを知り尽くしている。
だから、工作員は簡単に”愛国者”になりすますことができる。
スパイは最初に記憶力を徹底的に訓練する。だから、とても”博識”にみえるのだ。