1980年代…米英にAips文明が誕生した。
それ以降、世界はAips文明によって侵略され、支配されるようになった。
人間の国は、次々と、このサルの国に滅ぼされてしまったのである。
世の中、高いカネを払って、若い貴重な時間を費やして大学に行く以上は、賢くなって帰ってきてもらわねばならない。
しかし、この頃から大学はサルを養成する機関に成り下がっていたのである。
通常、学問というのは、先人たちの実績の上に積み上げてこそのものである。
先人の教えは理解できない、自分の気に喰わないからと、「新」とつけてデタラメな思想や似非哲学、似非経済学、似非宗教をでっちあげるのが流行したのである。
彼らの知能程度は恐ろしく低い。
しかし、人民のレベルがさらに低いがために、今日まで駆除も去れずにのさばっている。
最近、何度も言及している例だが、「ポピュリズム」に「大衆迎合」の意味はない。
それを彼らは「大衆迎合」の意味で「ポピュリズム」ということばを繰り返し使っている。
ことばの意味も分からずに政治や経済、宗教を偉そうに語っている勘違い勢力なのである。
こんな知能の低い連中に、翻弄されている人民の知能レベルも救い難い。
「こいつら、本当に人間なんだろうか?」と、いつも悩むのだ。
たとえば、交通マナーを考えてみよう。
クルマや歩行者が、それぞれに「自分の自由の最大化」を目指したらどうなるだろう?
最大の交通の自由や、みんなの満足が最大化するだろうか?
「ゆずりあい」
…と、教習所で習わなかっただろうか?
つまり、自分よりも相手の自由や権利を優先することによって、「交通の自由」は実現する。
また、「歩行者優先」等々、「弱者保護」のルールを学ばなかっただろうか?
「クルマは凶器」だと。
つまり、巨大な企業や国家は「凶器」なのである。
それが「弱者保護」のルールを守らなくって、「交通の安全」が実現するであろうか?
少し前に中国で、二歳児がクルマにはねられて苦しんでいるのに、歩行者はだれも気付かないのか、通り過ぎていき、ついには別のクルマに轢かれて、その二歳児は絶命した。
ネットにアップされたこの動画を見て、多くの人が戦慄し、考えさせられた。
しかし、資本主義、新自由主義、新保守主義は、何も問題がなかったかのように、なお世界に君臨し、のさばっているのである。
「個の自由の最大化」が何をもたらすのかは、初めから明らかなことである。
交通マナーの場合は、交通の自由と安全を阻害するのである。
経済や政治においても、人々の政治的経済的な自由と安全は脅かされる。
そんなこともわからないで、政治や経済を語り、運営している米英国民は、本当に人間なのだろうか?
「個の自由の最大化」は、相手の自由を抑圧する方向にはたらく。
それは、カウボーイ時代のアウトローの”ならず者”文化である。
そして、その文化は、イエスキリストがもっとも軽蔑し、敵対した文化である。
なぜ、米英は自分たちを「キリスト教国家」などと思っているのだろうか?
キリスト教というのは、イエスキリストの教えとは反対のことをやる宗教のことなのか?
自分たちの価値観を相手に押し付けることを「帝国主義」という。
なぜ、すなおに「帝国主義」を名乗らず、「民主主義」や「自由主義」を取り繕うのか?
詐欺師、ペテン師の政治経済が、新自由主義であり、新保守主義であり、グローバリズムである。
「民主主義」や「自由主義」を正反対に理解しているサルどもを、世界の人民はいつまでのさばらせておくつもりなのか?
サルは、山に帰れ。帰してやれ。
世界の人民よ。もう少ししっかりしろ。
サルに支配され、踊らされて、お前ら、それでも人間か?!恥を知れ!!