日本人は、なぜ法を理解できないのか? | バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画

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【著作権フリー・人はだれの所有物(奴隷)でもありません。身も心も、著作物も所有物ではありません。所有し、支配してはならないものです。】幸徳秋水死刑100年の怨念、乃木希典自刃100年の無念を引き継ぐ”呪い”のブログ…

ソビエトがアメリカに先駆けて有人ロケットを宇宙空間に飛ばしたことで「西側」諸国に激震が走りました。

 

スプートニクショックです。

 

「社会主義の資本主義に対する勝利」とまで当時は言われたものです。

 

 

劣勢を直ちに挽回しようとアメリカを初め「西側」は結束し、「数学教育の現代化」など科学教育の推進に努めました。

 

「天才クイズ」やら推理ものが番組や書籍でも、よく作られるようになりました。

 

そして、中等数学に『集合論』が導入されたのでした。

 

ベン図を使った初歩的な論理学の内容だったのにもかかわらず、最後まで理解できない子どもが過半を占めたのでした。

 

義務教育では大半の生徒が落ちこぼれてしまい、半永久的に習得の見込みがなかったために、高等学校でやることになったわけです。

 

この事実は、日本人という種族に対して何を証明しているでしょうか?

 

 

次の事例です。

 

進学校とされる高校において、日本史の教師が古代大和王朝の起源について近畿説と九州説があるとして、それはそれは熱心に授業で解説しておりました。

 

おそらく教科書の通り一遍の解説や年号の暗記などより、ずっと知的でわくわくした時間に、生徒にとってはなったのではないでしょうか…と、思ったのですが…

 

日本史のテストで、その大和王朝についての論作文の問題を一題いれたのですが、年号や穴埋めはできているのに、ほとんどすべての生徒が論説問題のところが白紙でした。

 

ただひとりが、ほぼ完璧に先生の解説を要約した答案を書いていましたが、その生徒は、年号や穴埋めはほとんど”零点”でありました。

 

この事実は、何を証明しているでしょうか?

 

進学校で学んでいる生徒の質と、身につけている学力の中身がわかりますよね?

 

 

ラジオやテレビで、知的でわくわくするような番組が流れていても、それをきちんと理解して修得している者の数というのは、どの程度かを推測する手がかりとなるでしょう。

 

 

また、私は小学校から高校、高校は進学校から底辺校まで体験していますが…

 

小学校は、計算は割り算から、文章題になると多くが落ちこぼれます。

 

中学校では、「英文法」というものの「考え方」が、いつまでたっても理解できない生徒が少なからずいます。

 

そして、数学では文字式でつまづき、因数分解でつまづくのですが、とりわけ図形問題や証明問題でつまづくのです。

 

最初は「むずかしい」からつまづくのだと思っていました。

 

丁寧に、時間をかけて教えれば、「皆できるようになる」と、そう信じていました。

 

 

しかし、そういうところでつまづいてしまう生徒の多くは、一生習得することができません。

 

一生、二重跳びが縄跳びでできない生徒、一生、バク転ができない生徒がいることが、決して不思議なことではないように、一生、習得できないのです。

 

民主主義について、そのルールについて理解するためには「論理的に考える」能力が絶対に必要なのです。

 

欧米人が「理性」とか「知性」とか呼んでいる能力が、絶対に必要なのです。

 

 

その能力は、日本人にあるでしょうか?

 

上の事例は、日本人にそれが「ある」と証明しているでしょうか…「ない」と証明しているでしょうか…

 

 

当ブログは、初期に「あなたは、”地球が丸い”と証明できますか?」と問うたことあります。

 

おそらく少ないはずです。

 

日本人で、それがきちんと証明できるのは多分…全体の「5%」程度ではないでしょうか?

 

 

日本人は、「理性」や「知性」のない人がほとんどです。

 

しかし、そのことばがあるがために、自分たちにそれが「ある」ものと錯覚し、「理性」でも「知性」でもないものをそう呼んで、完璧に根本的に誤解しているのです。

 

ですから、きっと欧米人との議論がかみ合わないでいることが多いと思います。

 

 

それでも、日本人が日本社会で生きていくのには必ずしも不自由はしません。

 

犬も人間社会で生きていくのに、不自由していない者がいるのと同じです。

 

犬は、状況やルールや論理までは理解できないかもしれませんが、飼い主の顔色は敏感に読み取ります。

 

空気を機敏に読み取り、従順にすばやく反応するのであれば、犬と同程度には不自由なく暮らすことができるわけです。

 

 

犬は、平等に扱うとストレスになり、円形脱毛症を発症したりすることがあります。

 

犬社会においては”序列”が守られていないと心健やかにはいられないのです。

 

”序列”を守らない個体には”制裁”が加えられます…が、それをはねのけて新しい順位が確定してしまえば”制裁”(人間社会でいう”いじめ”)もなくなるのです。

 

犬社会において、「ルール」「掟」に相当するものが”ボス”の存在です。

 

ボスの命令が、「法律」であり、「ルール」なのです。

 

 

日本人社会もまた、この犬と同じで「ボスの命令」として「法律」や「ルール」を「理解」しています。

 

…いや、正確には「理解」ではなく、「誤解」ですよねw

 

 

ですから、「民主主義のルールは、「”NOと言える権利のあること”」と言っても、理解できない人が多いのでしょう。

 

また、「皆平等」といって、実際に平等に扱うと日本人は誤解してしまいます。

 

犬を、人間と同じテーブル、人間と同じ食器で「平等に」食事をさせたらどうなるでしょう?

 

 

犬にきちんと序列を教え込んでおかないと、「自分が群れのボスだ」と錯覚し、したがわない者に制裁を下し、結果、人間が噛み殺されるということが実際に起こります。

 

日本人も「平等に」扱うと、「自分の順位が上がった」と錯覚し、「順位が上のオレの言うことを聞かない、オレにあいさつしないとはふてえ野郎だ」とのぼせあがり、乱暴に至ります。

 

 

犬は犬として扱わなければいけませんし、ブタはブタとして扱わねばなりません。

 

日本人は日本人として扱わねばならないのです。

 

 

人権は、「理性」と「知性」を備えた人間にのみ行使し得るものです。

 

この”聖なるもの”をむやみに犬に与えてはいけないのです。

 

 

日本人にとって、法や秩序とは、社会契約や真理ではないんだということを、日本人を相手にする人は、よくよく理解しておく必要があります。

 

 

さて…日本に民主主義が実現するのは、何世紀先のことになるのでしょうか…