ふつうの生物であるならば、自分たちの脅威に対しては抵抗するはずである。
しかし、飼いならされ、家畜化してしまった個体は”自死”を選択する。
としを重ねると、ひざやせなかが曲がってくるが、「すり減った」わけではない。
骨などは日々新しく作り直されているが、破骨細胞と造骨細胞の協業による。
その協業のバランスが崩れていって骨格を変形させるのである。
新しく作り直すには、古いものを壊さなければならない…
よって、細胞には”自死”プログラムが組み込まれている…
機械文明によって、生命としての健全性を失ってしまった個体もまた…
”自死”プログラムを起動させているかのようである…
日本は、いつからこうなってしまったのか?
歴史は案外古い…
”自死”と”再生”が繰り返されているようにもみえる…
産業革命といえば、イギリス…イギリス産業革命といえば、綿工業である。
インドで綿花を栽培し、本国で綿織物を作る…
”文明人”なら、だれしも服を着ることになっているからである。
大正10年当時の紡績業の趨勢は、紡績機械の数から推量して英国を10とすると…
北米が4~6、南米が4前後、ドイツやインドが2~3、日本が0.8~0.9であった。
およその見当である…
しかし、日本は紡績機械の運転時間と生産量が世界一であった…
その生産を支えたのは職工たちであり、大半が女工であった。
機械の騒音は凄まじく、耳がおかしくなる…
もうもうと粉じんが巻き上がり、結核を患う者が後を絶たない…
機械のそばは60度にもなるところがザラで、夏場の暑さはことばに尽くせない…
しかも、そこ以外は暖房などないので、休憩で持ち場を離れると寒くてしかたがない。
さらに給仕される食事は家畜のエサよりひどく、また不衛生で病人が続出。
それで、都会でいい暮らしができると信じて、募集に応じて村を出た健康な娘たちが、
三年もすると、青白い顔をして、背筋も曲がり、うらぶれた姿で帰ってくるのだった…
それで、人手が足りないのに、年々募集がやりづらくなっていった。
ところが、工場の方は、待遇改善に努めることなど一切なく、
ヤクザ者のような男たちに監視させ、規則規則で締め上げ、服装検査までした。
買い物や読む本までチェックして、
工場の悪口(?実情だろ?)が書かれていないか、手紙までチェックした。
しかも、賃金からは、寄宿代だの、食材費だの、会費だのを差し引かれる。
「親に孝行しろ」と言っては、送金させたり、借金を作らせたりした。
さらに、男を作らせたり、監督自ら手籠めにして、とにかく逃げだせないようにした。
ソビエトの強制収容所や重罪犯罪者の刑務所のような境遇であった。
彼女たちは、「会社へ行く」と言っていた…
日本国憲法ができて、人権が尊重されるようになった今日からは想像もつかない…
しかし、いまなお日本のあちこちに強制収容所のごとき「会社」が林立している。
AV業界などは、そのうちのひとつにすぎない…
「会社」という「強制収容所」にいくことを日本人は「就職」と呼び、
「自立した」「社会人になった」などともてはやす…
万歳万歳と、日の丸振って若者たちを戦地へ送った日本人の鬼畜魂は健在である。
多くの日本人は、こうした現実と向き合わないし、戦わない。
そもそも知ろうともしないし、考えもしない…
こうした”自死”を選択してしまった”弱者”は救いようがない…
キリストも、「1タラントの教え」で説いたように、もっているものまでとりあげられる。
ルンペンやタダノリの”弱者”は、正真正銘の”弱者”だが、それゆえに…
救われるべき”弱者”ではないのだ。
当時、女工たちはろくな教育も受けておらずに”無知”であったが、今日はどうだろう?
相変わらず”無知”で、”無教養”で”無思考”で、自分の考えを表現できない。
検索ひとつ満足にできない「つかえない」者たちばかり…
これが、「弱者救済」や「再分配」を妨げている。
「女工のストライキがあたかも恋人に駄々をこねるがごとくの極めて幼稚なものだった」
と『貧民心理の研究』(賀川豊彦)に記されているそうだ。
いずれも労働条件の改善などではなく、人の排斥や引き留めに終始していた。
(まるで、日教組の日の丸君が代反対闘争ではないか?)
賃金や解雇手当、退職手当などの法律で定められた権利ではなく、
先のように人事や、心付けに出る一時金など権利のないことで騒いでいる。
こんな争議の乱用をやっていては、さらに踏みつけられてしまうであろう。
しかし、数と勢いで勝る女工のストライキは、ほとんど”勝利”して、
男工のストライキは全然勝てなかったという…(ムチャクチャだw)
これが日本の文化なのだろうか?
一般女工は部屋長の姉さん株を君主のごとくに信仰していて、
彼女の言うことなら何でも聞いた。
また、姉さんの方も否応なしに利かせなければ承知しない。
組織で、サボタージュを指示しても聞かないが、姉さんの命令は絶対である。
では、彼女らの”勝利”に次ぐ”勝利”の運動で何が勝ち取られているのといえば…
下回り事務員やスケベ部長の復職(解雇ではない!)には賛成しても…
時間短縮や賃上げに賛成する姉さんはひとりもいない…
つまり、会社と戦ってはいない。権利闘争はしていない。(だから、”勝てる”のだ)
面白半分で付和雷同。お祭り気分。
自分たちの仲間集団を作って、”勝利”の気分に浸っているだけ。運動会も同然。
(日教組の「運動」もこれになっていた…)
アメリカでもイギリスでも、労働者の連帯は速やかに広がったという…
日本人には、こういう”団結心”が欠けている。
自分たちを管理し、抑圧している側の工場主を、女工たちは”信頼”しているくらいだ。
それゆえに、オルガナイザーが組織を作るときも、さんざん煩わせて、事実上敵対する。
運動家は、皆のためにすべてを投げ打っているのに、迫害され、侮辱される。
それでも、やっとこ組織を立ち上げて幹部を置けば、運動の本義よりも、
「だれそれが自分たちに敬意を払わない」と言って慷慨悲憤する。
それをたしなめて、労働運動の本義を説こうものなら、反感と暴力を受け、
わび状文を書かせられるようなことまでやる…
これは、日本の文化か?
日本人は、みなヤクザなのか?
日本人には、公共心も道徳心も向上心もないことがわかる…
このバカでヤクザな民族が資本主義を受け入れたときに民族消滅は決まっていたのだ。
参考文献 『女工哀史』細井和喜蔵