「神の見えざる手」としての「市場原理」がはたらくためには、どんな条件が必要だろうか?
モノの値段が適切に決められるためには、何が必要だろうか?
そして、それらの”条件”は、いまの世界にあるだろうか?
「ある」というのなら、なぜに「フェアトレード」なんてことが言われるのだろうか?
いわゆる「フリートレード」では、適正な値段がついていない現実があるということである。
モノの値段というのは、売り手と買い手の間で決まるものである。
…ということは?
売り手と買い手が対等平等でなければならない。
それは現在、世界や日本社会で成立しているであろうか?
警察の裏金作りの実例で、記念バッジみたいなものを作って署員に売りつけるというのがあった。
ここでは”市場原理”は機能していない。”自由市場”が存在していない。
ビジネスにおいても、大口の注文が確保されたというので工場を拡大して、さあ納品というときに思いっきり買いたたかれ、しかも、次からは別のところへ発注するからなどと”ハシゴを外される”…
先の警察の裏金事例では、買い手側の署員は絶対的”弱者”で”選択の自由”がない…
こっちの買い叩かれる工場は売り手側だが、やはり絶対的”弱者”で”選択の自由”がない…
そして、現実社会においては、弱者は相手の不実を主張することが許されない。
そこで「タテマエ」が横行し、その不実を暴くことが”タブー”とされる。
電力会社や放送局、郵便、電鉄などは独占的事業である上に権力の保護を受けている…
したがって、売り手側は「言い値」で絶対的”弱者”である買い手に買わせることができる。
「電気などなくてもいい」と言いたくても代替手段が政治によって排除されているし、
昔のように薪を拾って暖房しようとしたって、消防法がどうの、煙の環境に対する影響がどうのと、放射能などいくらでもばら撒かせているくせに厳罰で取り締まられてしまう。
こうした”お上”がらみの不正、不公正な仕組みがあるというのに、人民は家畜化してしまって文句を言うどころか、そういう問題の存在にすら気づかない。
”お上”の不正と戦う者を、「世間に楯突く不届き者」と認知するバチアタリ国民と成り下がっている…
最近ではバチアタリどもが『美味しんぼ』という漫画にケチをつけていたようであるが…
このように「市場原理が適切に機能しない状態」において、「市場」によって値段が決められればどうなるだろう?
当然、値段自体が歪む。市場によって”選択”されるべき商品の”淘汰”が歪む。
「市場原理が適切に機能しない状態」において「自由競争」が行われればどうなるだろう?
やはり、”選択”されるべき商品や業者の”淘汰”が歪むであろう。
コンツウェルンの帝国主義的産業ピラミッドにおいては、ヤクザのピラミッドと同じ上下関係、階級秩序が形成されており、ピラミッド下層は売り手側になるにせよ、買い手側になるにせよ”選択の自由”がない。
家畜のようにこき使われ、搾り取られるだけなのである…
いわゆる「日本社会」は、こうしたシステムの上に「形成」されている…
こんな奴隷制によって作られているモノが「社会」と呼べるシロモノだろうか?
そもそも「社会」というのは、対等な「自由な個人」が前提で作られるものである。
一方が「飼い主」で、他方が「家畜」となる「日本社会」は「社会」なんぞではないのである。
日本には「社会」も「社会人」も存在しない。
日本において「社会人」とは、”出荷”された家畜のことで、ご主人様の言いなりにならないようでは”不良品”と認定されて”廃棄処分”にされてしまう。
「飼い主」と「家畜」がいるだけである。その二つの階級は厳然と区別されて存在しているのだ。
「格差社会」などとだれかは言う…
だが、これは矛盾した用語である。
「格差」があれば、「社会」も「市場」も存在しないからである。
人々に与えられるのはニセモノや虚構である。
人々がそれらを「社会」「市場」と思い込んでいるのは、スナックやピンク産業のお姉さんとの”お付き合い”を「恋愛」と勘違いしている鼻下ナガシ氏の図となんら変わらない。
こういうアホに真実を告げてみたところで「風評だ!」と逆切れされかねない。
こやつらの”常識”では、「市場」も「自由競争」も「適正」のはずだから、「市場」や「社会」を疑うことをしない。ダメな商品がバカ売れし、ダメな人材が出世していても気づきもしない。
「市場」や「自由競争」が「不適正」であると、人間一般まで「不適正」な存在になってしまうようだ。
現代グローバリズムでは”非対称性”と呼ばれる圧倒的な格差が前提とされている。
つまり、市場も競争も社会も不適切であることが求められているのだ。
その”格差”のひとつに”情報格差”がある。
売り手側には圧倒的な情報…買い手側には宣伝情報以外の「本当の情報」が存在しない。
こういう状況で、商品に適正な値段がつくのかどうか?AKB48問題など好例であろう。
「著作権」がどうの、「風評」がどうのといって、「本当の情報」がますます削除され、この格差は拡大中である。今後ますます「市場」も「競争」も「社会」も歪んでいくだろう。
売り手側は商品情報のみならず、「個人情報」も独占している。
「個人情報保護法」は、企業の個人情報独占を保護する法律じゃないのかと思うくらいだ。
「個人の了承」を得るかぎり、この法には抵触せず、個人情報は取れまくれる…
金融でも、ネットでも、サービスを受けるには個人情報を奴隷のごとくに売り渡さねばならないというのに、工作員でない者たちまで、この不当性をきちんと認識していない。
しばしば顧客の個人情報が漏れていると言われているが、これは”重罪”なのである。
とはいえ、そもそも個人情報が保護されるはずのないネットというシステムを人々が喜んで使っているのだから、罪を問うと言ったってムリがある。
人を裁いているヒマがあったら、まず自衛すべき…ということになるだろう。
要点をもういちど…
売り手側である企業は、商品情報にみならず、あなたがた買い手側の個人情報も”独占”している。
そこに圧倒的な格差が存在しているという戦慄すべき事実なのである。
買い手側には”選択の自由”がなく、売り手側の都合次第の商品選択のみがある…
しかも、そんな不公平があっても買い手側は「自分が選んだ」と思い込んでいる…
単に「市場が歪んでいる」どころの騒ぎではない。
社会全体が「振り込め詐欺」のシステムなのである。
我々の「無力感」の根拠のひとつには、こうした”圧倒的格差”の存在があるのだ。
実際の「競争」において勝ち残るのは…
「よい商品、よいサービスを提供する企業」ではない。
権力と資本をバックにもったギャングのごとき企業である。
法律を使って商売敵を潰す一方、自分たちは”鼻薬”で法網をスイスイすり抜ける…
圧倒的な資本力で”宣伝競走”、”安売り競争”に引き込んで弱小事業体をぶっ潰す…
消費税で”お上”までこの不当競争を援護してくれるのである。
さらに”価格破壊”を進めるべくギャング大資本は、低賃金労働を海外に求める…
アフリカなどで暴力的に収奪して、安く原料を仕入れ、さらに工場も作って安く生産する…
植民地支配である。
アフリカに適正なカネを払わないから、安いのだし、アフリカが貧困化する…
だが、植民地の宗主国も、いずれ罰を受ける。
安い商品が逆流してきて、自国の産業が衰退してしまうのだ。
こんな状況で「競争力をつける」って、どうするのだ?かつての日本のように韓国を搾取するのか?
まず植民地支配的搾取を止めさせるべきであろう。まあ、むずかしいことだが…
しかし、人民は罰を受けないためにきちんと知るべきである。
不正な市場、競争が存在し、そのことによって、いずれ自分たちの首を絞めるのだということを。
…てか…もう、そうなっているんです…
平等、民主主義のないところに、社会にも市場にも競争にも、「公正」は存在しようがないのです。