自分のうちに爆弾が落ちるまで、実際に身内が死ぬまで、人々は戦争というものがわからないらしい…
わかったときには、もう遅い。
だから、日ごろから考えていなければならないし、アンテナを張っていなければならない…
こんどの原発事故だって、反対派はそれこそ生活かけて訴え続けてきたのに…
「聞いてない。初めから言ってくれればいいのに」みたいなことを言っている人がいる。
五木寛之氏も、かつての戦争体験で、そう思ったことがあるらしいが、
人生ン十年もやっていて、マスコミの仕事がウソをつくことだと気づかない方がおかしいのだ。
ノーテンキな生き方をしてきた証拠なんだよ、それは!
「いつもめざめていなさい。そのときは、速やかに来る」というイエスの言葉は、ここでも真実だ。
え?自分は苦労した?
ノーテンキゆえにする苦労もあるんだが、それじゃあないのかな?
まあ、玉砕の島の話を、もう少し詳しく見てみよう…
昭和19年の9月に人間魚雷の基地をつくるため日本兵千名が上陸。島民も兵隊たちの世話をした。
そのころはまだのんびりしたものだったが、沖縄本島に空襲があり、連絡船が撃沈されると食糧不足が刻々と深刻になっていった。
明けて昭和20年、1月と3月に船を狙った空襲があり、島の日本兵は400人を残して沖縄本島へ移動して行った。そして3月23日…夥しい数のグラマンが飛来…
食料がひっ迫し、人手が不足し、空爆され、人が実際に死んで…ようやく戦争のなんたるかを知る…
家は焼け、村も焼け、家族はばらばら…「玉砕」の声も聞こえる…
破局は、あっというまに来る…津波のように速やかにやってきて、すべてを根こそぎ奪っていく…
少しでも長く抵抗しようと夜襲をかける斬りこみ隊。負傷しても薬もない…
ついに完全に攻囲され、銃撃の中逃げ惑い、食べる物とてなく、山をさすらい、血の川の水をすすり、死体を踏みつけての逃避行…
飛び降り自殺しようとしたが、下に米兵がいたのであきらめ、今度は高熱を発して動けなくなった…
ふと手榴弾をもっていたことに気づいて死のうとしたが、不発で、これも失敗…気を失う…
その後に奇跡的に父親と再会して、家族も村のみんなも”玉砕”したことを知る…
父親に喉をかき斬られ、無理心中とあいなったものの、米兵に見つかり、助けられた…
生き残って、米軍から帰島を許されたのちも、死体処理の毎日…
そういえば、こんなシーンもありましたね…
戦場は敵を殺すどころじゃない。死刑囚よりも悲惨な境遇に置かれる。
これ…ホントに漫画の中の話じゃないですよ…戦場の現実ですよ。
実際に兵士たちが身に染みて体験したことだ…
ただ…こういうこと体験してても、考えなかった人たちは、いっぱいいたみたいだけどね…
死刑囚よりも悲惨な状況に突っ込まれて、靖国なんぞに祀られてもね…
軍人顕彰自体が、国家的な詐欺なわけで、そんなインチキな神社に祭られたくないね…