「愛と赦し」の真意とは… | バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画

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【著作権フリー・人はだれの所有物(奴隷)でもありません。身も心も、著作物も所有物ではありません。所有し、支配してはならないものです。】幸徳秋水死刑100年の怨念、乃木希典自刃100年の無念を引き継ぐ”呪い”のブログ…

多くの人々が理解していない、キリストの「愛と赦し」の真意を、端的に説明いたしましょう。



この世(人間の世界)は、「憎悪と裁き」によってできています…


それで、常に他方がもう一方を暴力的に制圧し、隷従させることがまかり通っています。



よって、「憎悪」というマイナス感情を抑制し、軽率に人を裁くことをやめればよいということです。



人がよくやる「寛容の教え」の間違いかたを見てみましょう。


キリストの教えは「この世に義人はひとりもいない」…というものです。


よって、そのままでは全員が裁きを免れないので「寛容」と「忍耐」と「赦し」が必要になるのです。



これはセットであるのに、人は「この世に悪い人はいない」という前提から入ります…


もしも、そうなら「寛容」も「忍耐」も「赦し」も必要ないのに…


「この世に悪い人はいない」から、人にはやさしく、愛を持って…などと論理を展開していきます…


だから、考えがひっくり返ってしまうのです!それは、キリストの教えではありません。



キリストの教えも仏陀の教えもこうです…


人間は極悪人ばかりだが、「慈悲の心」やゴマ粒ほどの「信仰心」はもっている…


だから、救いの道を用意し、悔い改めれば赦す…と…



悔い改めてもない者に「赦し」なんぞは、ありません。


ただ、憎悪というマイナス感情を野放しにしないように「寛容」と「忍耐」を続けるのです。



「この世に悪い人はいない」という妄想は、常に現実によって裏切られ続けます。


繰り返しますが、それはキリストの教えでもブッダの教えでもない…人間(=悪魔)の教えなのです。



で…人間(=悪魔)というものは、悪い奴は裁かねばならない、罰しなければならないと考えています。


だが、悪魔が「悪い奴」と考える者は、本当は「悪い奴」ではないのです。


その”裁き”は常にまちがうのであり、残るのはだれかを「罪人」と呼んでみんなで差別し、


凌辱して快感を得る…ということのみです。これは「悪魔の生贄の祝祭」そのものです。



日本の裁判の現状はまさに悪魔の聖典になっており、


「日本人」という悪魔どもが被告人の血と悲鳴を楽しんでいるという狂気の儀式になっている…


ときどき「冤罪」であることが知れて、悪魔たちはがっかりとし、負け惜しみのように


「でも、犯人の可能性はあるじゃないか」などと、なおも生贄の解放を渋るのです。



まあ、それで「ユダヤ」なる「神」が、この醜い悪魔どもに裁きを加え、根絶やしにしてくれるのだそうです…



キリストは「だれでも救う」などとは言っていません。


福音の教えに従わなかった者たちの運命は、まさに黙示録にあるとおりなのです。



前にも言いましたが、キリストの教えを端的にもういちど述べましょう。



つまるところ、キリストの教えは「所有するな」「支配するな」です。



そして、憎悪というマイナス感情を制御して、極力人を裁くな…ということです。


「悪い奴をやっつけるのが正義」というのは、悪魔の考えである…



日本人の多くは悪魔の考えをしているので、滅殺しなければならない…


もちろん、それは人間がやれば「罪」になるので、キリスト者はやってはいけませんよ。



しかし、ちゃーんと悪魔たちが彼らをことごとく処刑するでしょう。



応報原理というのは、ちゃんと機能するのです。


日本人は「悪い奴をやっつけろ」という法を宣言しているので、その法がブーメランしてくるのです。



自分で自分にバチを当てているおバカな民族…それが、日本人です。