人間は悪魔に似ています…
いや…たぶん…悪魔こそが、人間のことだったのでしょう。
富と権力を求め、その力を崇め、力に媚びる者たちすべてが間違いなく悪魔なのです。
あなたも…
あなたも…
そして…あなたも…
どんな苦境にあっても、悪魔が欲するのは”力”であり、”勝利”なのです。
何のための”力”なのかとか、どういう意味での”勝利”なのかは、どうでもよいのです。
”敵”を引き裂き、凌辱し、踏みにじる…それが楽しいのです。
悪魔が、神に祈るのは…勝利であり、支配であり、財力なのです。
あなたもそれを神に祈りませんでしたか?
しかし、どんな地獄鬼畜生でも、慈悲の心はもっています。
その心が、自分の醜悪さに哀しみを抱き…「救い」を求めるのです…
悪魔であるがゆえに、地獄の裁きが確定している者であるがゆえに、「救い」が必要なのです。
しかし、悪魔にとっての「救い」とは、あくまでも苦境からの逆転勝利であり、支配者になることなのです。
よって、彼らは永遠にパワーゲームから逃れることはありません。
彼らは、破滅しようとも、ギャンブルを続けたいのです。
人間と悪魔とでは、求める「救い」の内容がまったく違うのです。
人間は、慈悲の心をこそ「まことの自分」と信じますが…
悪魔は、慈悲の心を「気の迷い」「おとぎ話」のように思い、信じません…
頼れるのは自分だけ…、自分の”力”だけ…、忠実な部下や仲間だけ…
信じられるものが「ない」からこそ、つくらなければならないのに…
「ない」…ことを何度でも確認しなければ気が済まず、ことごとく「信じられそうなもの」を破壊していく。
二歳児のごとき…幼稚な精神…幼児のときのまま、お前の心は成長が止まっている…
もうひとつ、人間と悪魔の違いを述べておこう…
人間は怒りの背後に哀しみを背負っている。
だから、怒りの対象が悔い改めるなどすれば、直ちにその怒りは緩んでしまう。
だが、悪魔の怒りとは、憎悪である。妬み、僻み、嫉みである…
憎悪の対象が悔い改めても、赦すことはない。
相手が謝れば謝るほど、それが快感になり、ますます残虐になっていく…
もっとひざまづけ!もっと苦しめ!もっとだ!もっとだ!これでもか!これでもか!
ほら、あなたのそばにもいるでしょう…地獄鬼畜生が…
悪口と説教と自慢話が大好きなクズ野郎…
悪魔大王に引き渡されたこの者たちに「救い」はない…
お前も…お前も…お前も…死ぬのだ!!

