「はじめにことばありき」…「ことば」=「ロゴス」=「神」=「キリスト」…
宣伝でもない…スローガンでもない…タテマエでもなければ…キレイゴトでもない…
真実のことば…まごころの発露…魂の叫び…
法であり…道理であり…明知なるもの…
ズシンと胸に響く…ことばのちから…
人はパンのみで生きるのではない。神のことばのひとつひとつ(=まこと)によって生かされる…
(-""-;) デモをしたり、宣伝したり、キャッチフレーズを考えたり…だが、そんなものよりも…
(`×´) ひとりひとりが心の底から絞り出すひとことひとことの方が破壊力があったりする…
人を本当に動かすもの…インセンティブを与えるものは何だろうか?
市場原理に洗脳された爬虫類族は大きな報酬とか、地位とかカネとかと言い出す…
本当に何にもわかっていない人たちだ…。随分ぬくぬくした環境で生きてきたのだろう…
いちど人の”まこと”に動かされた者は、もうカネだの報酬だのは、どうでもよくなる…
生きるためにしぶしぶはたらきはするが、本当のはたらくことの喜びを知ったがゆえに、すべてが空しい。
市場原理で人を動機づけようとするかぎり、人の潜在意欲を引き出すことはできないだろう…
マザーテレサの話にも出てきましたが、もたざる者に与える者は、もてる者ではないのですよね…
一億総中流になって、ますます日本人はがめつくなりました。貧乏性が増大したのです。
案外、貧しい者の方が、人の困窮する苦しみを知っていて助けてくれるのです…
苦行中のお釈迦様が托鉢に行くと、亭主が病気で食事にも事欠く一家に出くわしました…
立ち去ろうとしたお釈迦様を引き留め「どうぞ食べてください」と自分の食べ物を差し出す女…
ここに人の”まこと”があらわれています…
(ナマポがどうとか、割り勘かおごりかなどということで議論しているゲスどもには一生わかるまい…)
こういう経験をしてはじめて人は人の真実に気づくのだろう…
苦行の果てに弱ったお釈迦様が、スジャータに助けられたときにしても…
弱っていたからだに牛の乳は、まだ若かったシッダールタのからだによく利いたでありましょう…
でも、それだけではなかったはずです。
スジャータのまごころも大いにお釈迦様を勇気づけていたことと思います…
人はまなざしひとつで、人を生かしもし、殺しもする…
人はことばひとつで、人を生かしもし、殺しもする…
富や権力に頼るようになった者たちは、この”まこと”のちからが枯れ果てています…
彼らについていくのは、ゾンビと家畜だけでしょう…