(゙ `∇´)/ このブログはずっと憲法をテーマにしてきたとも言えます。屈原のサムライ精神と憲法の精神は、個人の独立、個人の尊厳という点で、完全に一致しているのです。
川・ε・川 テーマ「反転原理」もよろしければヒマをみて読んでいただきたいのですが、人々が憲法を反対に理解してしまうのは、このことをちゃんと理解しないからです。
(-з-)b いままでに取り上げた例では・・・
「人は生まれながらに自由である」=「人はだれにも服従しない」=「他者をだれも支配できない」
∑(-x-;) 社長や大臣に、部下はしたがっていますか?案外、カネにしたがっているだけではないですか?
((((((ノ゚⊿゚)ノ 面前では褒め称え、調子のいいこと言っていますが、裏ではどんな悪口を言っていることか!
(-""-;)b 他者を自分の自由にすることなんかできない。
川・ε・川 だから「自由の尊重」とは、自分の自由ではなく、その前に「他者の自由の尊重」を意味するのです。
((o(-゛-;) それが戦後民主主義では「個人の欲望追求の自由」になってしまっている。
( °д°) これは「資本主義」「新自由主義」の精神であって、憲法の精神ではないのです。
(>。☆) 同様に「幸福追求権」というのもありますが、これも「他者の幸福を追求する権利」です。
( ・д・)/ そうでないと、おかしくなりますよ。「自分の幸福追求のためには他者を犠牲にしてもよい」となります。
(-_-メ これ、もろ原発の構造ね!資本主義、新自由主義の「最大多数の最大幸福」ってやつです。
(  ̄っ ̄) 「利他では自分が損をすると凡夫は思いがちだが、利他はあまねく自他を利する」とは道元。
(#`ε´#) これをちゃんと理解するには「まず因果応報法則をきちんと理解しておく必要がある」と言っています。
(-з-)b 「奪う者は奪われる」が「与える(=自らは失う)者は与えられる」のです。他者を利すれば己も利する。
(`・ω・´) 仏教の法法則と、憲法の法法則はきちんと一致しているのです。仏法は「絵空事」ではないのですよ!
法というのは合意です。他者との関係によって成立するのです。
(◎ε◎ ) 合意が合意として有効であるためには、法を結ぶ他者が個人として自立して判断してくれないと・・・
( ̄ー ̄; 法とは相手を拘束するものですから、だからこそ逆に相手の自由を尊重しないといけない。
(@Д@; でも、人々は反対をやりがち。法だから、相手を徹底的に拘束して締め上げろ・・・となる。
(-"∀"-;)b ですから「反転原理」を会得しましょう。
自分が自由になりたかったら相手を自由にする。
自分が幸せになりたかったら相手を幸せにする。
自分の利益を増やしたかったら相手の利益を増やしてあげる。
命はちいさく儚いもの。塵芥のようなもの。⇒だから、大切に。自分しかそれを守る者がいない。
(*´Д`)=з 命が地球より重いってことではない。(´0ノ`*)それとも「宇宙生命」のこと?
生物世界は優勝劣敗⇒だから、弱者を大切にする。
(´0ノ`*) 「歩のない将棋は負け」とも言う。
(-"∀"-;) 近代物質主義は「人間が地球を支配している」などと思いあがっている。
(-""-;) 恐竜にせよ、ライオンにせよ、食物連鎖の頂点にいることは「支配」ではない。
(◎Д◎ 9m むしろ逆である!環境の変化にすこぶる弱い!「食物ピラミッドに養われている」と言っていい。
( ̄へ  ̄ 凸 真実は「人間が生き物たちに養われている」のである!
(  ̄っ ̄) 企業ピラミッドだって同じこと。社長は「社員を養っている」と思っているみたいだが・・・・
(=`(∞)´=) 現実は、社長が社員や顧客に養われているのだよ!
因果応報法則を会得せよ。それは人々の認識がしばしばひっくり返っていることを教えてくれる。