『岩上安見のどこが嫌いかといえば、
フリーのクセに「犬」ってことに尽きます。





(-"。"-;) 本人はジャーナリストと気取っていますが、基本的に雑誌記者なんですね。キャリアを見るかぎりは。
(゙ ` 。´)/ ジャーナリストと雑誌記者の違いは、端的に言うと、
(>。☆)b ハンターと猟犬の違いです。
(-。-;) 雑誌記者は、編集者と言う猟師に手綱を握られ、命じられるとおりに獲物を追いかけ、ネタを咥えてしっぽを振りながら戻ってきます。
(-з-)b 岩上安見は「犬」としては実に有能で、得意技は「おあずけ」と「お手」だったぐらいです。



あれだけネタをもち、取材もしているのに、本を執筆しないのは、まさに犬の性ゆえん。
「おあずけ」が大好きなんですね。スクープを取ってきても、その価値が正確に判断できないので、何を書いていいのか、わからないのかもしれませんが。
あ、言っておきますが、猟犬が悪いと言っているわけではありません。実際、週刊誌などの機動力と取材力は、こうした有能な猟犬記者によって成り立っています。
それとは別に、単独で獲物を狩る能力をもつ人、トップ屋と呼ばれるような鼻が利くタイプがフリーのジャーナリストとして活躍していきます。
犬としては使い物にならない方がハンター(猟師)には向いていたりするわけです。
記者としては無能扱いされた人が、ジャーナリストとして成功するのはよくあることです。
で、岩上安見ですが、犬のままハンターになったことで、ある種、当人も混乱しているみたいなんですね。
「どこにでも出かけ、誰にでも取材し、ダイレクトに情報を伝える」という大層なモットーは、裏返せば、自分が何をテーマにしているか、どう報じていいのか、わからなくなって、とにかく他のジャーナリストの集まっているところに寄ってきては、やみくもに走り回り、大騒ぎしたあげく、現場を引っ掻き回し、それで「いい汗かいた」と仕事をした気になるわけです。
そして、素材をそのまま動画ですべて載せておくので、あとは見た人が判断してね」と丸投げ。
猟犬が獲った獲物を勝手に食べないのと一緒です。
ともかく自分で獲物を狩りだすセンスがないので、他人の狩場でワンワン吠えまくっているわけですよ。
根が「犬」なので、やたらと群れたがりますし、縄張りに異常に執着します。
もうおわかりですね。それが自由報道協会です。
岩上安見が見つけた新しい「犬小屋」とも言いますが。
自由報道協会を立ち上げた上杉隆は、よくも悪くもハンターです。(よく誤射しますけど)
とにかく狙った獲物を撃ち殺し、止めを刺すことが大好きです。(▼_▼|||
実際、彼は記者クラブに狙いを絞って撃ちまくっていましたし、自由報道協会もまた、自分同様の「ハンター」たちの互助会。いうなれば「猟友会」として設立したはずでした。
そこに犬っころが入り込んでしまいます。岩上安見ですね。猟師と思ってパートナーにした相手が犬だったことが、自由報道協会の評判を落とすことになったのです。
犬は群れの中での順位にこだわる特性があります。
それがいかんなくはっきされたのは、今年1月28日に発表した自由報道協会賞でしょう。若いジャーナリストにチャンスと励みを与えるという目的ながら、日隈一雄賞(賞金50万円)を自ら受賞してしまう厚顔さは、実質ナンバー2という慈父ゆえでしょう。(ちなみに今にも潰れそうなIWJもマイクロジャーナリズム賞のダブル受賞です)
受賞スピーチで「この大賞にふさわしいのは日隈一雄氏だと思う」というおためごかしも、普通なら若いジャーナリストの名を上げるべきですし、それすらしないのも群れ(自由報道協会内)における順位にこだわっている何よりの証拠。
だから、他のまともな独立系ジャーナリストがどん引きしてもへっちゃらです。犬にハンターの気持ちがわかるはずがありません。
自由報道協会の評判を下げるきっかけとなった小沢一郎記者会見(11年10月20日)における「読売記者吊し上げ事件」では読売記者がルール違反をしたからと「飼い主」上杉隆の後ろでキャンキャン吠えたてている姿は、まさにブルドッグそのもの。縄張りを荒らされ、激怒したんでしょう。
実際、自由報道協会における記者クラブ加盟記者への締め付けは、電信柱にションベンをかけてマーキングする行為にそっくりです。ときに記者クラブの犬にションベンをかけられ、怒り狂っているのです。
繰り返しますが、現状、自由報道協会が評判を落としている背景には、代表である上杉隆の暴走と言うより、それを助長させる岩上安見の犬体質にあるんですが、周囲から叩かれるのは決まって上杉隆です。
しつけの悪い犬で叱られるのは飼い主、ということでしょう。
岩上安見は自由報道協会を上杉隆から乗っ取るつもりは、おそらくありません。そんな甲斐性があれば、悪口ではなく、ちゃんとバッシング記事を作っています。そういう器じゃないんですね。
基本、小物で小ずるい程度のこと。大勢に影響はほとんどありません。乗っ取ろうにも犬についていく人はいないでしょうし。
自由報道協会は、日本のジャーナリズムにとって重大な役割を担っていましたし、多くの人が期待をしていました。それが残念な結果になりそうなのは、そもそも自由報道協会自体が、他人と群れ集うことを好まない、わがままで独立心旺盛なフリーのジャーナリストの集合体という「構造的欠陥」を抱えているからです。
逆に記者クラブ制度が機能してきたのは、そこに加盟する記者たちが「会社の犬」であり、群れ集う体質の集合体だからです。
つまり、自由報道協会が設立できたこと自体が奇跡だったのです。それは上杉隆の異常なまでの粘着体質(まあ、カリスマ性と言ってもいいでしょう)と、岩上保美の異常なまでの犬体質が組み合わさることで起きた、偶然の産物だったのです。
いずれにせよ、猟犬をドッグラン(記者会見)で放してはダメってことです。
猟犬たちはみんな、山に戻れ。腹ペコになって獲物を獲って来い、ということではないでしょうか。