五月は毒月とも呼ばれ、身体を壊しがちなので、薬草を摘み、厄除けをする風習が中国であり、日本でも奈良時代からあったそうです。菖蒲やヨモギや蘭(湯に入れた)が用いられたといいます。
そして、菖蒲は尚武に通じ、また厄除けということで鍾馗様が関東中心に祭られています。
柏餅も家系が絶えないという意味があるそうで、武門、武勇の意味がより強まっていったようです。
(-∇-) だが、なんと言っても5月5日を特別の日にしたのはこの人なのです。
(=`(∞)´=) 彼の名は屈原。紀元前278年前後の人です。今から2300年ほど前ですね。
(゙ `∇´)/ 五木寛之氏が『大河の一滴』の中で、彼の話を次のようにしています。
『古代の中国に屈原という人がいた。多分紀元前何世紀かの人だろう。(・ε・)楚の国で宰相の次の地位でした。
彼は乱世の中で国と民を憂い、さまざまに力を尽くしたが、それをこころよく思わぬ連中に讒訴されて国を追放され、辺地を流浪する身となった。屈原のすぐれた手腕と、一徹な正義感、そしてあまりにも清廉潔白に身を持そうとする生き方が、周囲の反発を買ったと思われる。
長い流浪の歳月に疲れ、裏切られた志に絶望した屈原は、よろめきながら滄浪という大きな川のほとりに辿りつく。彼が天を仰いで濁世に憤る言葉を天に吐きながら一人嘆いていると、ひとりの漁師が船を寄せてきて、身分の高いかたのようだが、どうなさいました、と尋ねる。
そこで屈原は答えた。
いま世間は、あげてみなすべて濁りきっている。濁世の極みだ。そのなかでこれまで自分はひとり清らかに正しく生きてきた。そして人々はいまだに、皆酒に酔いしれているようなありさまだが、そのなかで自分はひとり醒めているのだ。だからこそ、私はこのような目に遭って官を追われ、無念の日々を送っているのだ、と。
それを聞いた漁師はうなずきながら再び屈原に尋ねる。
たしかにそうかもしれません。しかし、あなたはそのような濁世にひとり高くおのれを守って生きる以外の道は、まったくお考えにならなかったのですか。
屈原は断乎として答えた。潔白なこの身に世俗の穢れたチリを受けるくらいなら、この水の流れに身を投じて魚のエサになる方がマシだ。
すると漁師はかすかに微笑み、小舟の船ばたを叩きつつ歌いながら水の上を去って行った。その漁師の歌は次のように伝えられている。
滄浪の水が清らかに澄んだときは自分の冠のひもを洗えばよい。
もし滄浪の水が濁ったときは自分の足でも洗えばよい。
そして漁師は二度と背後を振り返ることなく、流れを下だって遠く消えて行ってしまうのである。』
(-"∀"-;)b ガンジーも、ネルーたちが暴力国家建設に邁進していくのを見て「神よ、あなたはなぜこのようなものを私に見せるのですか!」と嘆き悲しんだと言いますが、なおも原発邁進の国や世間を見て、屈原やガンジーと同じ思いをしている人々は、いま少なくないと思います。
(☆。☆) 我ひとり醒めたり、と。
テレビ真理教のチンパンばっかりが周りにいて日々猿回しを踊る中、刻々と滅亡に近づいているのが見えているわけですからね。心中お察し申し上げます。
そのサルたちは、例の津波映像を見て「なんで津波の方へあの人は行っちゃうんだ」などと暢気なことを言う。
(`(エ)´)ノ9m あなたがもう、すでにそうではないか~!
東京は放射能管理地区同然だというのに、このままの日常が続いていくと根拠もなしに信じている。そして、ただ無知なだけでなく、極めて傲慢で頑なである。
川・ε・川 無知なら素直に人の話を聞いて、自分でも調べてみればよい。すぐに解決する。
(゙ `-´)/ だが、この「悪い麦」たちは、決して学ぼうとしない。調べようとしない。考えようとしない。
( ̄∩ ̄# それでいて自信満々。ただのキチガイではないか!
真実は求めない者には決して与えられないということを、醒めたる者は見るのである。
自分の親も兄弟も妻子も知り合いもことごとく地獄行きだということ、裁かれていることを知るのである。
屈原の心中は、自分の身の振り方がどうこうという話ではない。
ちゃんと勉強しないと不合格だぞと、さんざん言うのにきかないドラ息子、ちゃんと治さないと死ぬぞとさんざん注意するのに聞き分けないワガママ患者を前に絶望する親や教師や医者の絶望と同じである。
(  ̄っ ̄) 放射能やばいよ!TPPや消費税はやばいよ!と叫ぶ者たちは、単に自分のことだけで叫んでいるのではない。「お前も死ぬぞ!すべてを失うぞ!」という緊急事態を伝えているのに、伝わらない苦しみである。
「サメだ!食われるぞ!」「うるさい!おかしなこと言うな」・・・がぶ!!
( ̄^ ̄)b こんな状況で、漁師の話が何のなぐさめになろう。そのサメに食われるトンマが、自分の家族だったりするわけだ。もはやこのとき、自分が逃げるので精一杯。助けることは不可能。
イエスも裁きの時には戻ったり振り向いたりせずに逃げろ、と言っているのもこういうことなのだ。
屈原は目の前で家族がサメかワニに食われるのを見るような思いで楚の国の衰退を見ていたのだ。
(-з-)b 「理想主義」とか「身の清らかさ」とかは、どこかズレたものの見方のように私には思われる。むしろ、「親の心、子知らず」に限りなく近い心情と考えるべきだろう。