”神”とは自分 | バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画

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【著作権フリー・人はだれの所有物(奴隷)でもありません。身も心も、著作物も所有物ではありません。所有し、支配してはならないものです。】幸徳秋水死刑100年の怨念、乃木希典自刃100年の無念を引き継ぐ”呪い”のブログ…


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”神の教示”を聞いたとしても、そこでもういちどよく考え、自分(の責任)で”正義”を判断する。

この姿勢こそ”自我の独立”であり、正しい”信仰”の姿です。

科学的な態度と信仰深い姿勢とは同じと言ってもよいくらい共通するもので、これが対立するように思っている人は、科学や宗教の両方もしくは、少なくともどちらかについて誤解しているのです。

この世はすべて相対的ですし、また”空”(自由、無限)でありますから、あらゆるものが”不確定”です。

よって、自分の科学的判断、信仰生活は間違っているのかもしれません。

しかし、それでも自分を偽るかぎり、自分が信じたものの当否は「否」にしかなりません。

よって親鸞のように「念仏を信じて地獄に落ちることになっても本望」という覚悟を決める必要があります。

(* ̄Oノ ̄*) テストの答案を書くときがそうでしょう?

いまや、”神の審判”のとき、合格か不合格かは神に委ねるしかないのです。


(-_-;) まあしかし、別の”審判者”があるにせよ、審判が下るまでは・・・

あなたが”神”なのです。

あなたの判断はあなたにしかできない。あなたにしかつくれない”世界”というのが必ずある!

(´ㇸ`。) 昨今の問題点は、それが売れなきゃ無意味とか、他者に評価されなきゃ無意味とか、
そればっかりだということです。

(-""-;) ”ひとりよがり”は、もちろんいけないでしょうが、それは他者のためにやっている行動や仕事についてであって、売れる必要もなければ、多数に認められる必要もないことは山ほどあるのです。

さて、「あなたが”神”」と言われて人がよくやる錯誤は次のようなものです。
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夜神月(ライト)が手にしたのは”デスノート”という殺人兵器。”絶対暴力”です。

彼の過ちの第一は、自分は”神”になったのではなく、”権力者”になったことがわかっていない点です。

過ちの第二は、暴力で”正義の裁き”をすれば”世の中がよくなる”と思っていることです。

(-"∀"-;)b でも多くの人々が、夜神月と同じ考えですよねえ?


(ノ゚ο゚)ノ「世の中をよくする」とか言いながら、政治家や官僚を目指します。

(^~^)ノ警察や裁判所が”正義の裁き”をして”悪人”をやっつけてくれることに期待します。


( ̄∩ ̄#9m このブログで一貫して主張していることは、ここの誤りです。

力で世界を変えようすること・・・です。

国家暴力は、暴力を中和して”非暴力”の状態をつくることためにあるのです。

悪に手出しできないようにはするが、悪をやっつけるためにあるのではない!

(◎д◎) いわゆる「死刑賛成」の多くの人が、夜神月と同類の人たちなのではないでしょうか?

(`×´) 「生きる資格のないやつの存在」は認めます。デスノートがあったら名前を書いてやりたい。

(゙ `-´)/しかし、それは”殺人”にほかならず、自分がクズどもと同じになってしまいます。

Σ(^∀^;||| まあ、クズを救うために自分もクズになる・・・というのはあるかもですが・・・


(-з-)b で、けっきょく何が言いたいか。夜神月と同類、強盗金融と同類の人たち、つまり・・・

鬼畜どもとは決して一緒にはなれない・・・ということです。


(`Δ´) もちろん、パウロの例もあるから、軽々に排除することはないが、ユダとはいずれ決別するしかない。

世界を変えるには”神”の波動で共振させねばならないから、”悪魔”は排除する必要がある。

・・・というか、水と油だからいずれ交わらなくなる。

何が真理かを追究するなかで生じる”分裂”は分裂ではなく、もともと交わらないものの除外なのである。

ことさら”排除””分裂”を目的にするのはよくないが、「ユダもパウロもみなさんなかよく」はない。


「ユダヤ」の現れる前から歴史は似たことを繰り返している。

「ユダヤ」を皆殺しにできたとしても、別の「ユダヤ」ができるだけだろう。

結局人民が彼らに力を与えてきたのである。欲望と恐怖で操られることで彼らに力を与えてしまった。

欲望と恐怖を超越すること、それができなければ、同じことがまた繰り返されるのである。