朝食。
風強く、気温より寒く感じる日。
メダカの卵から、「次々と針子」誕生!
毎年、とても感動する
若い友人と逢う約束はしてあったが、行き先が決まっていなかった。
今朝、小飛が目覚めた時、「瀧原宮」と決まった。
友人も快諾してくださって、迎えにゆく。
彼女を乗せて、下道で瀧原宮へ。
右手の川に下り、手水を使う。(写真なし)
いつ来ても、この川の流れは気持ち良い。
手前に瀧原双宮(ならびのみや)
奥に、「瀧原宮」
瀧原宮、並びの宮とお詣りし、ふと見上げると青い空。
雲が早足で流れてゆく。
そのまま進め。
何処にいても、何していても、ともに在る。
ありがとうございます。
今日からまた、一歩ずつ
頑張ります。
鮪の中トロ握り5貫。
分厚い鮪で、とても満足
友人が鮪中トロ握りと一緒に頼んだトンカツを見て、、、
追加で小飛も同じ物を!!
大満足!!
その後、帰り道の道の駅に寄り、彼女のお母様の仕事場へ寄り、業務スーパーへ寄り、送っていった。
一軒、別な友人のお母様宅へバナナを少し届けたら、偶然にもその友人も来ていて、バッタリ!
帰宅。
昨日連絡してあった方に丁度間に合った。
買ってきたバナナといちごを乗せたヨーグルト、パン(くるみとレーズンのブランブール)、ナッツ類、おかきで夕食代用。
なんだか冷える。
風邪ひかないよう気をつけたい。
友人からメールを頂く。
「小飛との会話はいつも興味深く、自分の事をとても考える時間となります。
普段、いかに流すように生活しているか実感します。」
普段、いかに流すように生活しているか実感します。」
とのこと。
そうなんですね。
小飛自身も、掘り下げる糸口をいつもいただいている。
自分を理解する幅が広がってゆく。
互いに違うことで、必要なものを受け渡ししてる感じかもしれないですね
会話すことで、思ってもいなかった方向からの視線を発見!
考えを伝え合うことで、自分の欲しかった何かを得ることが出来る。
また、伝えるために自分を見つめることで、自分のなかを整理できることも。
人との触れ合いが、自分を支え、自分を育て、自分を揺すぶってくれる。
さて、前回の「褒められるのが苦手」という意識と、いやいやそうではなく「自分が大喜びしてるだけ」の相互関係性は?
今回も答えは出ないし、それで良い。
小飛の場合は、恐らくは全く「褒めてはいない」。
そうではなく「自分が大喜びしていたり、感動していたり、感謝している」だけだ。
ね、褒められると「恥ずかしい」のは、なぜなんだろう
答えはヒトによって違うかもしれないが、その問いを、小飛自身に問いかけている
恥ずかしいことは、いっぱいある。
でも、「恥ずかしさ」はとても幅が広くて掴みにくい。
自分を可笑しく思ったり可愛く思ったりする恥ずかしさもあれば、
穴があったら入りたい恥ずかしさもあり、
身の縮むような恥ずかしさもあるし、
居ても立っても居られない恥ずかしさもある。
「恥ずかしさ」ほど、表す感情の幅の広い言葉はないのではないか?
ふふふっ
さぁ、今夜も早く寝よう。
今夜こそ、更にぐっすり眠りたいと思う。
本日3800歩。
nainai、ありがとうございます。