United Future Organizationの
矢部直さんが亡くなった。
元メンバーの松浦俊夫さんからの連絡で
その訃報を知った。
実は
彼の事を知って
37年位経つが、
矢部さんと話した事は
数回程しかない。
若手には厳しかったし、
恐れ多くて話せなかった。
いつもUFOとの連絡の窓口は
松浦君だった。
亡くなって
色んな人が
矢部さんとの思い出を
書き記しているのを読んで
心が暖かくなった。
初めて東京に遊びに行った10代後半、
桑原茂一さんの会社
クラブ・キングに立ち寄って
そこで矢部さんに初めて会った。
京都でクラブの店長をしていた時に
UFOの三人を呼んだ。
予算がなかったので
三人が東京から
車で駆け付けてくれた。
Yellowの
JAZZIN'に
僕がマネージャーだった頃の
Mondo Grossoを
ブッキングして頂いた事もあったなぁ。
もとい、
本題に戻ろう。
Loud Minorityが
今尚
ジャズに影響を受けた
ダンス・ミュージックの中でも
際立って高く
評価されているのは、
ジャズのサンプリングを用いた
コラージュ・アートの
金字塔だからだ。
それ以前に
ジャズ・サンプルを使った
ダンス・ミュージックが
なかった訳ではない。
ウィントン・マルサリスの曲に出て来る
ピアノのフレーズを一小節だけループした
革命的なジャジー・ブレイク・ビーツ!
SohoのHot Music-1990
Donald Byrdの
Jannineのフレーズが反復する
CFM BandのJazz It Up-1990
CFM bandと同じ手法で
Johnny Lytleの
Selimのリフをサンプリングした
Vibes AliveのThe Spoken Word-1991
Pharoah Sandersの名曲、
You've Got To Have Freedomの
サックスのテーマを大胆に使用した
DJ SmashのBlown Away-1991
そして、
Hank Mobleyの
Ricard Bossanovaのリフを基調に
様々なジャズ・ネタが飛び出す、
United Future Organizationの
I Love My Baby, My Baby Loves Jazz-1991
と90〜91年はジャズを素材にして、
ブレイクビーツ/Hip Hop beatと
組み合わせたAcid Jazzが花盛り。
Loud Minority-92は、
Vibe Alive〜
CFM Band〜
DJ SMASH達のように
原曲の顔となる
リフ or テーマに頼らず、
Soho同様、
原曲の主要部分ではない所から
フレーズを抜き取って
テーマとして使用し、
全く別の曲にした上で、
I Love My Babyを更に進化させた
究極のサウンド・コラージュである。
つまり、
"単一"の元ネタへの"依存"度を下げ、
様々なジャズの名曲の
組み合わせの妙で
全く新しい価値を生み出した
サンプリング・アートである
という意味で
革新的であったのだ。
又、
I Love My Babyにも
Loud Minorityにも
サックス・ソロやピアノ・ソロが
導入されていた事を忘れてはいけない。
打ち込みであるが故に
ジャズと認められない
ジレンマもあるが、
単にジャズをサンプリングしただけの
Hip HopやAcid Jazzとは一線を画し、
ジャズに影響を受け、
ジャズに憧れ、
ジャズに敬意を表した
ダンス・ミュージックの中でも
最も評価されている理由は
このインプロヴィゼーションの導入の
"決断"である事も忘れてはいけない。
更には、
Hip Hop〜HouseのBPMに安住せず、
打ち込みの
ダンス・ミュージックの可能性を
高速ダンス・ジャズのテンポで
証明した事が
その革新性を独自なものにしている。
三人と
第四のメンバーとも言われた
プログラマーの小日向歩氏の
コンビネーションによって生まれた
ミラクルは、
唯一無二にして最高峰だった・・・。
いつしか、
サンプリングに対する
訴訟が増加するに連れて
サンプリング・ミュージックの生産は
激減。
レーベルとのタイ・アップなくしては、
Loud Minorityを超える
サンプリング・アートは
不可能となった。
いや、
ライセンスをクリアした音楽が
Loud Minorityを超える事はないだろう。
譲歩なき創作。
権威を破壊し、
再構築した創造。
それがこの曲の真骨頂だからだ。
実は
僕がコーディネートした
コンピレーションへの収録を条件に
Loud Minorityの
Blue Note音源のサンプリング部分の
全ての権利がクリア出来る事になり
僕はその話をUFOサイドに持ち掛けた。
しかし、
矢部さんはその提案を拒否。
許可など必要ない。
取引などもっての他。
衝動に忠実で、
計算も妥協も協調も
彼の視界にはなかった。
聞くだけ野暮だったと
反省している。
余談になるが、
彼の師に当たる人は
「クラブなんて
非合法だから面白いんだよ
今更合法なんて甘ったれるな」と
風営法の改正に賛成していた
僕を叱責した事がある。
ルールを逸脱するスリル。
自由奔放に生きるリスク。
"あの頃"のジャズを愛し、
ビート族に憧れた
矢部さんにとって
時代は
あまりにもスクエアー過ぎた。
シーンのリーダーになる事に
興味はなく、
先駆者として
ひたすら
我が道を突き進んだ矢部さん・・・。
矢部さんが
一度だけ
僕の事を褒めてくれた事がある。
The Roomの
先代オーナーが逝去した際に書いた
僕の追悼文に
コメントを頂いた。
もう、
彼が
僕の言葉を読む事はない。