何故このタイミングに・・・ | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

昨日、
国会議事堂前
3番出口付近で行われた
"官邸前DISCO化計画"
に参加し、
DJをしました。

その件に関し、
何故このタイミングに?
躍ってる場合か?
開催を止めては?
参加すべきではない!
という
ご指摘や提案を頂きました。

それらを無視した訳ではありません。
厳粛に受け止め
熟慮しました。

勿論、
主催者や関係者と協議もしました。

そして、
開催、
参加という結論に至りました。

殺害された方のご冥福を
心からお祈りし、
ご遺族や人質のご家族の方の
お気持ちを察し
敬虔な気持ちで
現場に向かいました。

本当に
悩んだんですよ。

でも
主催者の方の
世界平和を踊り祈るという
テーマに共鳴したんです。

僕のDJのコンセプトは
音楽の時間旅行と世界旅行なんですが、
同時に
世界平和を目指してもいます。

参加する言い訳として
無理矢理考えたんだろう?
と思われるかもしれませんが
過去色んなメディアで発言しています。

様々な国の音楽をかけ
人々が人種や国に対する偏見から
自由になる事を
望んでいるからです。

昨夜も
日本アーティストが作った
ジャズ・ファンクを、
ジャマイカのレゲエのカバーを、
NYのディスコのヒット曲を、
世界的なロックのヒット曲を
プレイに混在させました。

僕は
世界35カ国
140都市に招聘されています。
アメリカやイギリスは勿論、
インドネシアやEAU、
カザフスタンやグルジア、
トルコにも行っています。

そこで
僕は
ありとあらゆる音楽をかけ
ダンスフロアーに集まった人々が
至福の時を過ごせるように
自分が信じた楽曲を
プレイして来たのです。

国境や
性差、
職業や身分、
宗教の違いを
越えて
皆が
同じ場所で
時間と音楽を
共有する。

その機会を
提供するのが
僕の仕事であり
ライフ・ワークなのです。

親の死に目にも会えないと
この世界に入ったので
見知らぬ人の不幸はおろか
知人の訃報を知っていても
自分のミッションを
放り出す事はできないのです。

親友が亡くなった次の日も
クラブでプレイする事もありました。
気持ちでは喪に服しても
僕のかける音楽を待ち望む人の
期待に応える必要があるのです。

どうか僕の判断をご理解下さい。

今回
改めて気付いたのは
まだまだ
踊るという事が
バカ騒ぎだったり
現実逃避である
と認識されているんだなぁ
という事でした。

薬物でハイになり
適当に曲かけて
盛り上がるのが
DJと思っている人も
世に中には
いるでしょうからね(苦笑)。

何回も言ってますが、
DJという行為は
僕にとって即興の芸術なのです。

聴衆の反応に対応し
楽曲を即興で選別配列して行く
瞬間芸術なのです。

ですから
昨日僕は
官邸前で
無形の芸術を
表現したのです。

踊るという事に関しても
単なる現実逃避や
ストレスの発散であるとは
思っていません。
そういう側面があってもいいし
それを目的にしている人を
否定しませんが
もっと根源的な意味合いを
僕は踊るという事に
見出しています。

ダンスは
精神の解放であり
救済であり
祈りでもある。

生きている事を確認し
音楽に包まれる事の喜びを
享受する。

素晴らしい事ではないですか?

不謹慎とのご批判も頂きましたが
僕は
ダンスする事は
不謹慎だとは思っていないんです。

もし
ご家族の方から抗議があれば
僕の考えを
ご説明するしかありません。
親が死んでも
僕はDJをしなければいけないのです
と。

そう言えば震災の後も
踊ってる場合か!
とか
電気を使うな!

バッシングを受けました。

でも
それは
僕や従業員にとっては
仕事をするな!
という事と同じ意味を持つのです。

確かに
被災された方のお気持ちを
逆撫でするような事を
してはいけませんし、
僕個人は
決して快楽に溺れるという事を
推奨している訳でもありません。

僕達は
自分の感情や発想を
表現する自由がありますし、
人生を
謳歌する権利があります。

しかし
同時に
捕われた人々や
虐げられた人々の事に
思いを馳せなければいけません。

ご批判を頂いた方の意見からは
そういった思いやりの気持ちを
忘れてはいけないという事を
学ばせて頂きました。

中東のみならず、
辺野古や
東北地方で起こっている事から
僕達は
目を逸らしてはいけないのです。

踊りながら考える。

昨日は
そんなイベントになったのではないでしょうか?

僕は現場で
お越し頂いた方に
こう
お願いしたんです。

かつて
あれだけ
官邸前に
人が集まったのに
すっかり人が来なくなったのは
何故だろうか?

果たして
本当に
こんな事をしてる場合なのだろうか?

そして
ダンスする事は
イケない事なのだろうか?

と色んな事を感じ
考えて欲しいと。

熟慮して参加して
何か意味があったんですか?
という疑問の声もありました。

社会や政治の事に関心がないと
思われがちな
クラバーやDJが
あの場所に集まるという事に
意味はあったと思います。

実際に
原発の最稼働反対を掲げたデモに
参加していた人達が
あの場所に
戻って来てもいました。

そして
昨日も
違う国籍を持つ人、
違う性別を持つ人、
違う職業に従事する人が
あの場所で
音楽と時間を共有する事ができました。

ボーダーを越えて。

何故
このタイミングに?
と言われれば
タイミングに関係なく
自分のミッションを遂行するのが
僕の役目だと言うしかありません。

勿論、
人の気持ちや
社会情勢に思いを巡らせる事を
忘れてもいません。

ただ
一つ僕も腑に落ちない事があったんです。

昨日
僕が取った行為が
不謹慎であるとしたら
目と鼻の先におられた
あの方はもっと不謹慎ではないですか?

あのタイミングで
あの国で
あの発言をする・・・。

決して
すり替えではありません。

僕は疑問やご批判にお答えして来ました。
それに
僕のような一介のDJが世の中に与える影響など
たかが知れています。

でも彼の立場は特別ですよね?
そして、
彼はその事について
国民に説明してくれましたか?
理由を
目的を
真実を。

主催者の方からは
あくまで
世界平和を踊り祈る
という事が主旨である
という説明を受けましたし、
僕のポリシーにも合致したので
参加を決意しました。

しかし、
昨日僕が
あの場所に言ったのは
無言の抗議
でもあります。

熱し易く醒め易い
日本人の性質に
そして
国民の安全を口にしながら
全く逆の事をしている
指導者の矛盾に対する。
いや
彼を選んだ日本国民に・・・。

メッセージは選曲に込めました。

僕は、
WAKE UPという曲でDJを始め、
バッテリーのガス欠による中断後は
GET UP STAND UPで再開し、
ラストはEMOTIONで締めました。

お越し頂いた皆さんに
僕の気持ちが伝わっていれば良いのですが。

最後に
僕の願いを書いて
この長い説明を
終わりにしたいと思います。

日本がいつまでも
自由に踊れる国でありますように。