ぶらり一人旅(中編) | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

早速情報が届きました。

Facebookで繋がっている
恩田さんという方が
8月15日に
トモキ君と
一緒に
バンドやっている
友達に会われるとかで
詳しい情報を
聞いて下さると。

そして
8月16日にメッセージが届きました。
トモキ君は
8月中には渡米し
3年は戻らないと・・・。


恩田さんは
文面の最後に
トモキ君の
Facebookのアドレスを
コピペしてくれていました。

僕は
フレンド・リクエストを
トモキ君に送りましたよ。

「いつか
レコーディングしたいと
思っています」
というメッセージと共に。

同じ
16日に
宇都宮の
サンスケさんというDJの方からも
FacebookにDMが届きました。

「明日、
トモキ君が出るイベントに
自分もDJとして出るけれども
何か伝えましょうか」
と・・・。

僕、
最初は冗談で
サンスケさんに
水戸に行こうかな

返信したんです。
8月17日の日曜日は
大阪のビルボード・ライブで
ファーサイドのライブを
見る予定になっていたので。

僕が大好きな
「RUNNIN'」

バンドでやる

というまたとない機会を
逃す訳には行きません。

ところが
16日の深夜
(厳密には17日の未明)に
トモキ君から
メッセージが届きます。

彼は
僕がThe Voyageの
プロデューサーである事を
知っているようでした。

そして、
翌週には
日本を発ってしまうと・・・。


つまり
サンスケさんも出演する
17日のイベントが
彼が
日本でやる
最後のライブ

だったのです。

僕は悩みました。
まず、
僕は
今月末が締め切りである自伝を
書かなければいけませんでした。
その為2週間仕事を入れず、
京都の自宅に引きこもって
執筆に専念している
最中なのです。
そして、
17日は
ファーサイドを
大阪で見る為に
わずかに
時間を空けていました。

起床して
僕は自問自答しました。

これは
ジャズの
未来に
関わる
重大な
機会

ではないかと。

ファーサイドの
ライブは見たい。
でも、
彼等の
人生に
僕は関われないし、
僕が
彼等と
コラボするのは難しい。

でも
トモキ君には
直接会って
話ができるだろうし、
意気投合すれば
コラボが出来るかもしれない。

しかも、
渡米前のトモキ君を
目撃できる
最後のチャンス。

勿論、
この先
彼と会える
チャンスはまたあるでしょう。
でもその時、
彼はいい意味で
成長しているだろうし
新しい仲間から
刺激を受け
色んな意味で
遠い存在になっているかもしれない。

僕は自分に向かって言いました。

日本にいる
彼に会うには
今しかないよ!

いつか
レコーディング
したいなら
直接会って
彼が
どんなヤツか
確かめた方が
いいだろう?

勿論、
彼が
どれだけ吹けるのか
どんな
プレイをするのか
という事に
不安が
なかった訳ではありません。
お金と時間をかけて
水戸まで行ったはいいけれど
期待外れ
という事だったあるだろうし
トモキ君が
鼻持ちならない
とんでもない
喰わせモノw

だって可能性もあります。

それでも
僕は
抑えきれない衝動を
感じていました。

ジョン・コルトレーンと
行動をともにした
ファラオ・サンダースと
SLEEP WALKERは共演しました。
しかも、
そのファラオと
共演したSLEEP WALKERは
The Roomで
コルトレーンの息子
ラヴィ・コルトレーンと
ジャム・セッションを
した事があるのです。

そして今、
僕は
トモキ・サンダースと
会おうとしている。

これを
縁と呼ばずして
何と
呼ぶのでしょうか?


僕は
ジャズの歴史の中に
身を置いていて、
ジャズの未来にも
関わろうとしているのです。

すべての予定を
すっとばし、
僕は
京都駅に向かいました。

道すがら、
サンスケさんに連絡を取り
水戸へ行く決心がついたと
メッセージを送りました・・・。

ところが、
僕は
重要な事を
忘れていたのです。
8月17日が
帰省ラッシュの
ピーク!
だという事を。


みどりの窓口で
新幹線は
最終まで
全て満席だという
残念な情報を
知らされました。

万事休す・・・。

(つづく)