HORACE SILVERさんに教わった事 | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

その昔、
Mt FUJI JAZZ FESTIVALというのがありまして、
1994年と
1995年は
僕がナビゲーターだったんですよね、
TV放映の・・・。

あまり知られてないんですが、
20年前、僕、27歳でしたから大役ですよね?

忘れもしない
1994年の山中湖畔で、
HORACE SILVER QUINTETを
この目で見たんです。

それが
最初で最後の
HORACE SILVER体験でした。

体調が悪かったのか、
それともそれが
彼の演奏スタイルか
判らなかったんですが、
とにかく彼は
髪を振り乱し
鬼気迫る表情で
身体を捻るようにして
ピアノを弾き続けたのです。

場内の異様な静けさが忘れられません。

巨大モニターに映る
HORACE SILVERさんの鼻の穴から
粘着性の体液が流れ落ちていました・・・。

それは
汗だったのか
それとも
ただの鼻水だったのかは知る由もありません。

とにかく
全身全霊で楽器と格闘する彼の姿に
聴衆は心打たれ
その様子を揶揄する人は誰もいませんでした。

僕は
思いました。

命をかけて仕事をするという事はこういう事なんだなと。

なりふり構わず
一心に自分がやるべき事に打ち込む彼の姿を見て
僕は涙が止まりませんでした。

今にもステージ上でぶっ倒れ、
命を引き取るのではないか
と思わせる危うさがあったんです。

いつのまにか僕の鼻からも体液が流れ出ていました・・・。

あれから
20年。

訃報を耳にした時、
彼のステージが
すぐさま脳裏に蘇りました。

あの時に命を落としていてもおかしくなかった彼は、
僕の知らない所でずっとピアノを弾いていたのでしょうか?
それとも病床に伏していたのでしょうか?

Mt.FUJI JAZZ FESTIVALが
終った後、
僕はいつも彼の曲をかける時
心の中で合掌していました。

素晴らしい曲を作って頂き
使わせてもらっている
感謝の気持ちと共に。

あれから
20年健在であったと思いたいし、
亡くなってしまった今、
心からご冥福をお祈りすると共に
改めてその偉大な業績を讃えたいと思います。

そして
僕はこれからも
ずっと彼の曲をかける度に
あの日のステージを思い出し
合掌し続けると思います。

命がけの仕事に取り組む姿勢を
僕は彼から教わったのですから。