もう新しいメロディーは要らないのかもしれない | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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もう新しいメロディーは要らないのかもしれない。

僕が
そう思ったきっかけは、
尊敬するDJ、
パトリック・フォージの一言だった。

「日本の音楽、カバーが多いね」

僕は
即座に
それを批判だと受け取った。

それに
否定できない事実だ。

何をして多いと判断するかは
不明だが
一昨年
QUALITY COVERSという
カバー・アルバムを出し、
来月出るMASA SEXTETもカバー・アルバムだし
(どちらのカバーにもちゃんと理由があるけれど)、
企画中の動物園の為のコンピレーションも
全曲カバーである事を考えると
その発言はあながち図星ではないのだ。

しかも、
僕の2枚目にアルバムは
半分がカバーなのだから・・・。

僕は
てっきり
PATRICKは僕の活動に批判的な見解を持っていると
思っていた。
ところが
よく話してみると
「曲のチョイスが正しくて意外性のあるアレンジは大歓迎だと・・・」
???

実は、
MASA SEXTETのアルバムのプロデュースを頼んだ時に
彼が
そう言ったものだから
てっきり
彼はその企画に乗ってないものだと思ったのだ。

CLUB JAZZのDJ達が
SLEEP WALKERの中村雅人の為に
おススメ曲を選ぶ。
そして、それらを彼がカバーするという・・・。

世にあるカバー・アルバムの殆どは、
既に耳馴染みのある曲を再演すれば
リスナーに聴かせる(買わせる)
リスクが少ない・・・という安易な考え方によって
産み出されているのではないだろうか?

SLEEP WALKERは
QUIET DAWNを除くと全部オリジナルだったし
(ほとんどが吉澤はじめ作曲だけれど)、
中村雅人がここへ来てカバー・アルバムを出す事に
後ろめたさはない。
それに、
全曲カバーでも、
世の中的には
マイナーな曲だから
それらを選ぶ事で売れ線を狙った訳もはない。

大体にして、
ジャズは同じ曲を再現する事を目的としない
音楽表現だから、
メロディーはモチーフであって
演奏の全てではないのだ。
むしろ、触媒のようなもの。

だから、
パトリックも
アレンジやインプロビゼーションが大事。
選曲が良ければ
カバーになんら問題ない
と言ってくれた。
でなければ、
彼も
このアルバムのプロデュースを
引き受けなかっただろう。

彼が言いたかったのは
彼の印象において
日本のクラブ・ジャズで
いい曲だなーと思う曲に
カバー曲が多いとの事。
もっと知らない
いい曲を聴かせてくれよ!とも
言われたけど。

確かに
それは
困った指摘だな・・・。

で、
パトリックに言われたからではないのだが、
僕が
新作の半分をオリジナルにし、
半分をカバーにしたのは訳がある。

しかも、
同じボーカリストが
オリジナルとカバーを1曲づつ歌っているのだ。

それは何故か?

偉大な名曲と
僕のオリジナルを聴き比べてもらおうという
狙いがある。

勿論、
カバー曲も僕が選んでいるから
そのセレクトにDJとしての個性は
出ていると思う。
そして、
オリジナルの方は、
僕の作曲家としての能力を出し切ったつもりだ。

しかし、
軒並み
カバーの方が
評判がいい(困)。

そのチョイスとアレンジを
お褒め頂いて悪い気はしないが
やはり
作曲家として
偉人達を越えられないのか・・・
と複雑な気持ちにも。

で、
思ったのだ。

ひょっとして、
新しいメロディーは
もう必要とされていないのでは?
と。

先鋭的なトラックは、
そもそも歌メロがなく
メロディアスでもなければ
増々ミニマル化している。

一方、
旧譜のコレクター達は
新しいディスカバリーの発掘に余念がないが、
それとて
新しく作られたメロディーではない。
しかも、
まだまだ
発見されていない過去の遺産が眠っているだろうし、
発掘されたもの全てを網羅しているDJもリスナーも
皆無に等しい。。。

新譜を色々漁ってみても
スティービーや
アシュフォード・シンプソン級の
作曲家に出会う事は少ないし。

僕が出会ってないだけかな???

前向きに考えてみて、
埋もれた名曲に光を当てるだけでも
大変な労力だし、
昔の曲をカバーし
現代的なトラックを当てがい
その曲の魅力を引き出す
(最近ではヘンリック・シュワルツのJACKSON 5のREMIXが凄かったよね)
のも十分にクリエイティヴだ。

新しい曲は
メロディーを排除し、
カバーが斬新な
アレンジで蘇る。

僕の冒頭の発言、あながち間違ってないと思う。

いや、
僕が
創造を放棄したと思わないで下さいよ。

リスナーの皆さんは
それでもいいのかもしれないのではないかと
ふと、思ったんです。

でも
僕は、
挑戦する。
偉大な作曲家達を越える為に。

ただ、
作曲家の概念も変わりつつあるから
“歌メロ"でないのかもしれないけど。

とにかく
誰も聴いた事のない曲を作らねばと
気持ちを新たにしたのだ。

たとえ
世の中が
新しいメロディーを必要としていないとしても。