中村靖日さん追悼上映に参加 | 映画復元師シュウさんのブログ

中村靖日さん追悼上映に参加



大切な「ブレードランナー 」仲間だった中村靖日さんの参加作品の追悼上映に。
作品は、佐藤信介監督の武蔵美時代の学生映画3本。


靖日さんは、出演の他に、録音やカメラオペレーターなど担当。
10代後半の中性的な美少年がそこに。
撮影で不参加の佐藤監督からは熱い追悼文が。
改めてR.I.P 


上映後は、犬童一心監督と、「運命じゃない人」のキーパーソン役、山中聡さんによるトーク。

犬童監督
「靖日くんは、なぜか毎回呼びたくなる。
お互い学生映画上がりで、制作側だったから、カメラの向こうでなく、隣りにいる存在。
『のぼうの城』では、スナイパー役を演じてもらった。
火縄銃を操作する独特の仕草を見た時、『色々考えてくれるじゃん!いいねー』とワクワクした。
本来、役者志望ではない、敢えて言えば『プロじゃない』靖日くんが、どこまで行ってくれるのか、毎回楽しかった。
『また靖日がやってくれたよ!』とね。
『引っ越し大名!』では、エキセントリックな侍役をオファー。
星野源に対して、かなり高圧的に接する役だったが、しっかりとやってのけてくれた。」



山中聡さん
「『運命じゃない人』では、良く食事する場面が多かった。
ある時、撮影後に、食べながら自然にしゃべるのって、意外に難しいよね、という話になった。
どうしても段取りになって、これから話すよね、という間が生まれてしまう。
そこで、食事をしながらしゃべる練習をした。
とにかく真面目な人柄。
ある時は、いきなり『好きな物ってなんですか?』と聞かれた。
『これは何か、プレゼントしてくれる気かな?』と思いつつも、チョコレートクッキーと伝えた。
案の定、その後、チョコレートクッキーを差し入れしてくれた。
本当に律儀で温かい人柄だった。」by山中 


ちなみに犬童監督が、「食事しながら大胆に会話できる」役者として名を挙げたのは、宮沢りえさんだった。
練習の成果なのか、才能なのか不明だけれど、とにかく自然体で食事して、会話もスムーズだったことに驚いたという。



中村靖日さんが、映画界に入るきっかけは、ぴあの選考委員(?)だった市川準監督が、佐藤信介監督の学生映画を観て、靖日さんを役者で起用したこと。
佐藤監督も脚本家で抜擢、映画界へ。


靖日さんは、山中さん達のフットサルサークルの一員だった。
ただ、チームの一員だった遠藤憲一さんあたりから、「フットサルは疲れる。」との意見が飛び出し、すぐにソフトボールのサークルに。
それを知らずにフットサルのユニフォームで現れた靖日さんは、皆から「ロナウド(だったかな?)」と呼ばれたとか。

普段は不器用で真面目。
スポーツをしなさそうな靖日さんに対して、犬童監督は、「なぜフットサルやってた?」と不思議がっていた。

犬童監督は、「靖日さんは、今後も自分の横にいるんだろうと思っていた。
自分よりも歳下の彼が、まさか先に亡くなるとは思ってもいなかった。」と、寂しそうに話していた。

なお上映には、靖日さんのご両親もいらした。
靖日さんは、お母様に目元がソックリだった。
朴訥とした雰囲気は、靖日さんにしっかり受け継がれていたんだなとしみじみさせられた。