こっちも「生きるとは?」がテーマの「アリスとテレスのまぼろし工場」観たよ~。 | 映画復元師シュウさんのブログ

こっちも「生きるとは?」がテーマの「アリスとテレスのまぼろし工場」観たよ~。

 

昨日、無事に生中継のお仕事を終えたので、夜に時間を作って「アリスとテレスのまぼろし工場」2度目の鑑賞。

後半になるにつれ、異常なほどの情報量で圧倒されるから、中々混乱する映画なんだよね。

 

一度目の鑑賞時には、奥さんが、「これって、こじらせ系映画だよね。宮崎監督の『君たちはどう生きるか』よりも浅いんじゃない?」と、身も蓋もない感想を言っていたので、僕はうろたえてしまった。

 

確かに、「アリスとテレスのまぼろし工場」は登場人物は、どいつもこいつも身勝手な振舞いをして、いわゆる「大人になり切れていない」中2病的な雰囲気がまん延している。

とはいえ、これは意図的な気もするし、「いかに生きるか?」というテーマ選びは、どちらも共通だ。

そして、それぞれの映画では、監督の思いがギューギューに詰め込まれているから、”理解”するのには時間を要すると思うのだ。

 

正直言って、「君たちはどう生きるか」に関しては、自分としてまだ咀嚼しきれていないので、もう一度観たいとは思う。
(観るかな???😂)

 

逆に、「アリスとテレスのまぼろし工場」は、工場萌えにとっては、なかなかに響いてくる映画だったのだ。

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パンフレットに書いてあったけど、東地和生美術監督の美術に合わせて、キャラクターの陰影を付けていったというから、真の主人公は、「見伏」という製鉄所の企業城下町なのかもしれない。

 

岡田麿里監督の生まれ故郷が秩父だというから、(僕の田舎も秩父なのでちょいと嬉しい☺)秩父のイメージも取り入れたそうで、さびれた鉄骨や、煙突から吹き上がる煙、朝日に照らされた工場など、不思議なノスタルジーがあって良いのだ。

そして、今回、2度目の鑑賞で感じたのは、どんな状況であれ、人は変われるし、抑圧された状況でも希望はある、とのメッセージだ。

 

その想いを、「中」で生きる睦実と、「外」で生きる五実に託したのかな、と。

 
 
”理想”とされる時代に閉じ込められた設定は、キアヌ・リーブスの「マトリックス」的だし、心を穏やかに同じ日常を繰り返すことを”是”とするのは、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」的でもあるなあと思った。

ちなみに、「マトリックス」がサイバースペースよりも「現実」に生きることを大切に思っていて、「世界の終わり~」では、主人公は最後に「壁に閉ざされた街」に残ることを選ぶ。

面白いのは、「アリスとテレス~」だと、そのどちらの選択も肯定的に描こうとしているのだ。

現実の人生では、例えば、身体が不自由な方だっているし、逆に、身体的な才能に恵まれた人だっている。
そのどうしようもない現実をいかに受け止め、その限られた状況の中でも、人は成長出来るし、希望を見いだせるのだ…との願いが込められている映画のように思えた。

その核にあるのが「生=性」の衝動というのが、岡田監督の作家性なのだろうね。
最後に、睦実が五実に、とある”告白”する時の、睦実の表情が凄いよね!

書評家の三宅香帆さんは、自身の「X」(旧Twitter)で「アリテレ」の感想として、本作を「『君たちはどう生きるか』へのアンチテーゼ」と評して、「『女子側の業を煮詰めたこのような映画』が作られる今の日本映画市場に感動した」と呟いたそうだ。

まさに女子映画!!
岡田監督の心が、叫びたがっていたんだろうね~(これが言いたかっただけ。)

とてもいびつな映画だから、人を選ぶとは思うけれど、僕にとっては尾を引く映画となりました。
 

最後に、中島みゆきさんが書き下ろしたエンディングテーマ「心音」のフルバージョンをお聞きください。