ポール・シュレイダーが書いた「未知との遭遇」の初稿はどのようなものだったのか? | 映画復元師シュウさんのブログ

ポール・シュレイダーが書いた「未知との遭遇」の初稿はどのようなものだったのか?

新年早々、マニアックなネタで攻めるぜ!!

 

「未知との遭遇」究極試写版の未公開シーンのレストア作業&全体の音声の5.1ch化は順調に進んでいる。

既に、ブルーレイへの書き出し段階まで進んだ。

 

私は、スピルバーグの偉大な作品の一つとして、ダントツで「未知との遭遇」を推している。

 

それまではC級SFとしてチープに捉えられていたエイリアン物を、侵略者ではなく、友好的な存在として描くことで、一級のSF映画に引き上げた功績は大きい。

光に包まれた幻惑的な存在として表現されたUFOは、今見ても素晴らしい。

 

特に興味深いのは、この「未知との遭遇」は商業映画としては、初めてスピルバーグ自らが脚本を書いた点だ。

それもオリジナル脚本のため、この作品にはスピルバーグの幼少期の原体験が散りばめられている。

映画作家としてのオリジナリティも濃厚で、スピルバーグという個人を理解するための一級の資料でもあると考えているのだ。

 

そんな作家性が前面に出た作品だが、実は、元々は別の作家が脚本を担当していたのをご存じだろうか?

スコセッシの名作「タクシー・ドライバー」の脚本を手掛け、ホラー&スプラッターの名作「キャット・ピープル」などを監督したポール・シュレイダー、その人だ。

 

 

 

では、一体なぜそれがキャンセルされたのか?

そもそも、それは内容はどんなものだったのか?

Jason Hellermanという脚本家(ハリウッド映画だけでなく、任天堂ともコラボしている)が、自身の記事でその内容を考察していたので紹介する。

なお、自動翻訳ソフトで翻訳しているから、誤訳の部分もあるからご容赦願いたい。

 

What Did Paul Schrader's First Draft of 'Close Encounters' Look Like? (nofilmschool.com)

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ほとんどの作家は、自分の失敗について話したがりません。

私にも長い失敗談のリストがありますが、それを読み返すのは嫌なものです。

シュレイダーが『未知との遭遇』の草稿を書き、脚本に何を施したかについては、さまざまな報告があります。

 

99%が捨てられた、あるいは合意されなかったというのが通説です。

 

シュレイダーは、脚本のどの部分についても使用されなかったと説明し、スクリーンに映し出された物は全てスピルバーグのやった事だと語っています。

では、シュレイダーの原案はどんな内容だったのでしょうか?

彼は、もっと聖書的な物だったと語っています。

ポールという男が宇宙人との接近遭遇を経験し、もう一度宇宙人とコンタクトを取ろうと、残りの人生を過ごすというストーリーです。

最終的に宇宙人と再会する場面で、スピルバーグとシュレイダーには意見の相違があり、この映画でのシュレイダーの仕事は終止符を打たれたのです。

 

スピルバーグは、この映画を「全てを捨てた普通の人」の物語にしたかったようです。

対してシュレイダーは、平凡な男が宇宙へ行くのはおかしいと思ったのかもしれません。

なぜ主人公が”平均以上”なのか、詳しいことは分かりませんが、そこで大きく意見が分かれたのです。

でも、この位の理解ではダメだと思い、私は少し調べてみました。

友人が以前送ってくれた(シュレイダーの)インタビューの中で、この映画の原案は、UFO目撃談を調べて回る空軍兵士についてだったことが判明しました。

兵士は目撃者から証言を集め、実際に何が起こったのかを突き止めるのです。

もちろん彼はUFOを目撃していて、アメリカ政府もUFOは存在すると考えていると彼に確認します。

そして、(その兵士である)ポールというキャラクターは、宇宙人とのコンタクトを試みる担当に任命されるのです。

彼はそれから30年間、宇宙人を探し続けますが、宇宙人は地球上に存在したのではなく、実は自分の心の中にいたことに気づくのです。

宇宙人は実在するけれど、より高い意識で活動するため、彼の脳内にしか存在しないのです。
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といった内容だ。

この記事の内容からすると、どちらかというと、ロバート・ゼメキス監督の「コンタクト」に限りなく近い内容だった事に驚く。

 

もしかしたら、「コンタクト」の原作小説を書いたカール・セーガンの元ネタが、実はシュレイダー版の脚本だったりしたらメチャクチャ面白いよね。

 

とは言っても、「コンタクト」の場合は、最後にヴェガ星系にまで行った”物理的痕跡”がかろうじて見つかるのに対して、シュレイダー版だと、完全に精神世界の物語になりそうだから、そこが「科学的」か「宗教的」かで、決定的に違う部分かもしれない。

 

ちなみに、アーサー・C・クラークは「クラークの三法則」の中で、「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」とも定義しているから、科学と宗教(=魔法と定義できるのなら)の境目は今後、もっとあやふやになっていくのかもしれない。

結局は、似て非なるように見えた物語も、同じ方向を向いている???

(なんか、自分でも良く分からない方向に話が及んでおります。)

 

最後に、シュレイダー版の脚本はネットにも挙がっている。

もちろん英語だし、全てを翻訳するには骨が折れるので、私は未読だ。

もし、どなたか翻訳に挑戦されるなら、是非とも詳しい内容を教えて頂きたい。

 

皆様、今年もよろしくお願いします。

 

未知との遭遇の初期脚本(ポール・シュレイダー版)※英語