毎週日曜の朝に「NHK俳句」という番組が放映されています。これまでも時々見てはいたのですが、私も番組に合わせて、下手でも一句ずつ作ろうかと思うようになりました。できるだけ続けていこうと思います。

 

 今回の兼題は「風薫る」でした。漢語の「薫風」を訓読みして和語化したもので、初夏の若葉の香りを乗せた爽やかな風のことを言います。夏の季語ですが、梅雨に入る前の五月の時期を表す言葉なので、使える期間は限られています。元禄時代から「風薫る」の夏の季語として使われるようになったそうです。薫風が強くなると「青嵐」という別の季語になります。「風薫る」は匂いに、「青嵐」は色に注目していますが、風は強く吹くようになると匂いを嗅いでいる余裕がないのかも知れません。

 

 風薫る白ソックスの転校生

(かぜかおる しろそっくすの てんこうせい)

 

 田舎で育ったので、周りに沢山小学校や中学校があった訳ではありませんが、それでも数回、通っていた学校に転校生がやって来たということがありました。今から考えると、親の都合による引っ越しのために転校するということが多かったのかと思いますが、思い返してみると、転校して来た子はいても、転校していった子はほとんど居なかったように思います。これも住んでいる場所が影響するのでしょうか。

 今は制服ではありませんが、昔は小学校から制服で、そのため転校生は見ると直ぐに分かりました。ある日、女の子の転校生がやって来て、その子は以前の学校の制服で、セーラー服を着ていました。女の子だから特に印象が強かったのでしょう、白い靴下が目に痛いほど強く焼き付きました。そして、あの時の白いソックスは、五月の薫風と同じような匂いがしたような気がします。もちろん実際には、薫風自体の匂いであって、それが映像的にわたしの頭の中で白ソックスに結び付いただけでしょうが、今でも白ソックスはセーラー服と同じくらい、青春時代を思い出させてくれる要素です。

 

 わたしは子供の頃、転校したことはありませんでした。ちょっと見かたが違うかも知れませんが、就職してからも一度も転職したことはなく、つまり、人生をずっと一直線に歩んで来たということです。理由は自分なりにはっきりさせており、面倒くさいことや手間のかかることをわざわざ自ら作ってしまいたくないからです。もう随分前から転職は当たり前のような働きかたに変わってしまいましたので、わたしのような経歴の人はこれからも減り続けてしまうのでしょう。転職しない=自由度が低い → 可能性を失くしている という図式は分かっているつもりですが、どうもよい面ばかりを見せられているようで、裏側には転職して苦労している人も沢山いるに違いない、と思っているのですが、どうでしょう。はっきりしているのは、定年を迎えたので転職という選択肢に悩まされることはなくなったということです。