毎週日曜の朝にNHK俳句という番組が放映されています。以前から見ていたのですが、自分でも下手なりにやってみようかと思い、番組の兼題に合わせて詠んでいます。

 

今回の兼題は「苺」でした。植物学的に定義すると、バラ科オランダイチゴ属の多年草に分類されるということで、一般に食用となるのはオランダ苺という種類なのだそうです。日本には江戸時代の終わり頃から入って来たらしく、そうすると江戸時代までの日本人のほとんどは苺を食することができなかったということですね。教えられた歴史では、鎖国制度の下でもオランダは国交を認められていたと記憶していますが、苺の輸入が江戸末期まで行なわれなかったのは、何か特別な理由でもあったのでしょうか。いずれにせよ、美味しい苺を食べられなかったとは、ちょっと可哀相な気がします。

 

 テーブルの苺見つめし迷子かな

(てーぶるの いちごみつめし まいごかな)

 

今回詠んだ句は、同じく可哀相な情景ではありますが、手に入らなくて食べられなかったのではなく、目の前にあったのに食べられなかったという、想えばもっと可哀相なことかも知れません。わたしは幸いなことに一度も迷子になったことはないのですが、迷子になってしまった時の子供気持ちというのはどんな状態なんでしょう。

苺は漢字で書くと、草かんむりに母なので、苺を見つめてじっと我慢していればきっとお母さんが迎えに来てくれて再会できると思います。これも大人になるために経験しなればならない試練の一つなんでしょうね。乗り越えた後は、苺を食べる時に、ときどきその時のことを思い出せば、苺の味もまた特別なものになるかも知れません。

 

苺は多年草だという話に戻りますが、わたしがいつも庭の草花を調達する際に、選択の基準にしているのが、この“多年草”という点です。今回、苺も多年草だということを知りましたので、苺の栽培を試してみようか、などと自分でも驚くようなことが頭を過ぎってしまいました。草花と食用の野菜ではおそらく世話の大変さが段違いに難しいでしょうし、枯らしてしまったら何倍も後悔しそうです。でも、いつかは挑戦してみたいですね。