毎週日曜の朝にNHK俳句という番組が放映されています。以前から見ていたのですが、自分でも下手なりにやってみようかと思い、番組の兼題に合わせて詠んでいます。

 

今回の兼題は「新茶」でした。お茶のままだと季語ではないのですが、「新茶」となると年に一回の訪れとなりますので、立派な季語となります。お茶の葉は、年に四回摘み取られるそうで、その年の最初のものが四月の終わりから五月の中旬につみ取られ、「新茶」となります。

うちは稲作中心の農家だったので、お茶の栽培はしていませんでしたが、稲作だとちょうど新茶の頃が田植えの時期に重なりますので、お茶とお米の両方を営んでいる農家にとって、ゴールデンウィークは休んでいるどころではないのかも。そんなことを考えると、当たり前のように飲んでいたお茶が特別なものに見えて来ます。

 

 鼻先に新茶の湯気と香りかな

(はなさきに しんちゃのゆげと かおりかな)

 

お茶は一日三度の食事の度に飲んでいますが、喉が潤えば十分なので、新茶がどうだとか銘柄がどうだとかということには無頓着です。緑茶とほうじ茶ぐらいの選択はしますが、お手軽な値段のお茶ばかりを買ってしまい、どうしても新茶というような値段の高いものとは縁がありません。

新茶の時期になると、TVとかの番組でレポーターの人が汲み立ての新茶を味わっているのを時々見ます。これも食レポの一種なんでしょうが、食べ物と違ってお茶のレポートは難しそうです。いきなり飲んでしまうと時間が持たない? のか、先ずは器を掌に載せて、香りをかいで、一口含んでその舌触りを楽しんだ後、やっと喉を通すという順序を踏んでくれます。その中でも、飲む前の香りをかいでいる仕草が一番絵になるようで、もちろん服装は和服の着物姿です。口元へ器を持って来た時に、汲み立ての新茶の香りを含んだ湯気がレポーターの鼻先に立ち上る様子は、新茶の気品や風格も伝えてくれるようで、その様子を見て、こちらも新茶を味わった気分を味わえるという具合です。

お茶の一杯ではありますが、結論としては自分自身で、それもスーパーなどで買うのではなく静岡や宇治の本場まで行って、新茶を一度味わうことのようです。お金と時間を掛けて味わう本物の新茶はきっと味わったこともない、これがお茶だ、と思わず言ってしまうような味なんでしょうね。その時に自然と出て来る句を、「新茶」の句として、いつかは詠んでみたいものです。

 

観光で、京都の宇治に旅行した際、外国人の観光客が多かったことと、どの店でも宇治茶をお土産に売っていて、辺り一面にお茶の香りが満ちていることに驚きました。わたしの頭の中では、宇治と言えば平等院鳳凰堂と、昔からずっとすり込まれていて、宇治茶は二の次だったのですが、この経験以来、宇治といえば緑茶を先に連想するようになりました。緑茶というのは、外国人には特別に珍しいようで、コーヒーは論外としても、確かに紅茶の類にも緑色や渋味を味わえるものは見当たりません。お茶は和菓子とともに味わうことで、その美味しさが倍増します。海外での緑茶の消費量が増えるのに併せて、和菓子なども輸出量が増えて行くといいですね。いったん外国の文化に溶け込んで、その後に逆輸入した際、純和風から進化した新たな和菓子の味わいや魅力を備えた国際感覚の和菓子に変わっていたりしても楽しいかも知れません。

あれっ、いつの間にかお茶ではなく和菓子の話題にすり替わってしまいました。甘党なので、どうもすみません。

 

 

 

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