読書シリーズの第二弾です。半年以上も時間を掛けて読み継いで来ましたが、とうとう今回をもって最終回を迎えることになりました。日本文学の名作中の名作というだけあって、読み応えのある内容でしたが、果たしてわたしごときが一度読んだだけで藤村がこの作品に込めた想いの如何ほどを理解できたかは甚だ疑問ではあります。が、最後の最後に心に刻まれた言葉がありました。そのことはこの記事の最後に触れたいと思います。

 

夜明け前 (第2部 下) (新潮文庫)/新潮社
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2-15-4 「勝重の見舞い」

 

十一月に入って、美濃落合の勝重は旧い師匠を見舞うため西から十曲峠を登って来ました。半蔵乱心の噂が美濃路の方へも知れて行った時、誰よりも先に馬籠へ駈けつけたのは勝重でしたが、その後の半蔵が容体も心にかかって、また彼はこの道を踏んで来たのでした。その彼が峠の上の新茶屋で足を休めて行こうとするころ、ちょうど馬籠の方からやって来る中津川の浅見老人(半蔵の旧友、景蔵のこと)に逢いました。この人も半蔵の病んでいると聞くのに心を痛めて、久しぶりで馬籠旧本陣を訪ね来たその帰りがけであるとのことでした。

中津川をさして帰って行く景蔵にもその十曲峠の上で別れて、やがて勝重は新茶屋を出ました。勝重は旧本陣の方に見舞いを言い入れに行きました。裏の木小屋まで行かないうちに、彼はお民に逢って、師匠のことをたずねると、お民の答えには、この二、三日ひどく疳の起こっている容子であるとのこと。勝重はやがて木小屋の周囲に人のないのを見すまして、例の荒い格子の前まで近づきました。

「敵が来る」

師匠の声でした。

「お師匠さま、わたしでございます。勝重でございます」

思いがけない弟子の訪れに、格子の内の半蔵もやや我に帰ったというふうではありました。看護するものが詰める別室の方には人の来るけはいもしたので、それぎり勝重は半蔵の側を離れました。しばらく別室に時を送った後、また勝重は半蔵を見に行こうとして、思わず師匠がひとり言を聞きました。

「勝重さんはどうした。勝重さんはいないか。いや、もういない・・・こんなところに俺を置き去りにして、落合の方へ帰って行った・・・体裁の好いことばかり言って、あの男も化物かも知れんぞ」

その声を聞きつけると、勝重は木小屋の土間にもいたたまれませんでした。彼は裏の竹藪の方に出て、ひとりで激しく泣きました。

 

2-15-5 「恵那山の初雪」

 

恵那山へは雪の来ることも早く、十月下旬のはじめには山にはすでに初雪を見ます。落合の勝重が帰って行った後の木小屋には、一層の寂しさが残りました。木小屋の位置は裏山を背にする方が北に当ったから、水の底にでも見るような薄日しか深い竹藪をもれて来ません。しかし、もうそろそろ半蔵にその部屋から出て来てもらってもよかろうと言い出すものは一人もいません。

ある日の午後、馬籠峠の上へはまれにしか来ないような猛烈な雹が来ました。すこしの天変地異でもすぐそれを何かの暗示に結びつけて言いたがるのは昔からの村の人たちの癖です。こんな空気の中で、庄助らが半蔵を見に行くと、どうもお師匠さまの容子がよくないという清助と落ち合いました。

お師匠さまもどうしているか、その見舞いを言い入れに来た庄助らは何よりもまず半蔵が格子の内から呼ぶ荒々しい声に驚かされました。

「さあ、攻めるなら攻めて来い。矢でも鉄砲でも持って来い」

血相を変えている半蔵が容子の尋常でないことは、雹どころの騒ぎではありませんでした。そして、この世の戦いに力は尽き矢は折れてもなおも屈せずに最後の抵抗を試みようとするかのように、自分で自分の屎を掴んでいて、それを格子の内から投げてよこしました。

「お師匠さま、何をなさる」

庄助も、勝之助も、その土間の片隅に壁によせて置いてある蓆の類を見つけ、あり合うものを引きかぶって逃げました。

 

2-15-6 「鍬の響き」

 

万事終わりました。半蔵がわびしい木小屋に病み倒れて行ったのはそれから数日の後でしたが、月の末にはついに再び起てませんでした。夜のひき明けに半蔵が息を引き取る前、一度大きく眼を見開きましたが、その時は最早物を見る力もありませんでした。

その暁から降り出した雨は止みそうもありません。栄吉、清助、庄助、勝之助らは前後して木小屋に集まりつつありました。雨は降ったり止んだりしているような日でしたが、すこし小降りになった時を見て、半蔵の遺骸には蓑をかけ、やがて木小屋から運び出されることになりました。

半蔵の死が馬籠以外の土地へも通知されて行くころには、近在から弔みを言い入れに集まる旧い弟子たちもすくなくありませんでしたが、その中で誰よりも先に急いで来たものは落合の勝重でした。明治十九年十一月二十九日の夜のことで、戸の外へはまた深い山の雨が来ました。勝重はその初冬らしい雨の音をききながら、互いに膝をまじえている村の人たちの思い出に耳を傾けて、師匠が人柄の床しさを思いました。

翌日の午後、勝重は伏見屋の主人(二代目伊之助)と連れ立って万福寺の門前に出ました。ちょうど松雲和尚は、万福寺建立以来の青山家代々が恩誼を思い、旧本陣かで今々行って来たというところでした。松雲には日ごろから闘うまいとしていたことが四つあります。命と闘わず、法と闘わず、理と闘わず、勢と闘わずというのがそれです。その時、和尚は半蔵が焼こうとした寺にも決して何らの執着を持たないおのれの立ち場を明らかにして、それをもって故人への回向に替えようとしていました。

幸い雨もあがって、どうかと天候の気遣われた次の日の葬儀もまずこの調子では無事に済まされそうでした。勝重らは半蔵埋葬の場所を見廻るため万福寺の山腹について古い墓石の並び立つ墓地の間の細道を進んで行きました。ちょうど勝重らがその位置に立って見た時は、一足先に見廻りに来ている清助とも一緒になりました。三郎と益穂の二人も勝重らを探しに杉の枯れ葉の落ちた細道を踏んで、お粂夫婦が妻籠の連中とともに旧本陣の方へ着いたことを告げ知らせに来ました。

その日には奥筋の方から着いたお粂らを迎えての半蔵の霊前に今一夜語り明かそうという手はずも定めてあります。やがて墓地には一人去り、二人去りして、伏見屋主人や清助から若い弟子たちまでもと来た細道を引き返して行きましたが、勝重のみはまだそこに残って、佐吉らが墓穴を掘るさまを眺めたたずみました。

「さあ、もう一息だ」

その声が墓掘りの男たちの間に起ります。強い匂いを放つ土中をめがけて佐吉らが鍬を打ち込むたびに、その鍬の響きが重く勝重のはらわたに徹えました。一つの音の後には、また他の音が続きました。

 

 

多くの疑問や無念や無念をそのままに残したまま、半蔵はとうとう土の下の人となってしまいました。そして、夜明け前を読み終えたわたしには、万福寺の松雲和尚の、「命と闘わず、法と闘わず、理と闘わず、勢と闘わず」という言葉がずっと頭の中で巡り続けるのだろうと思います。

 

 

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