読書シリーズの第二弾です。今回は島崎藤村の「夜明け前」を読んでいましたが、第一部を読み終えたところで中断していました。中だるみしてしまい、第二部へ取り掛かる気持ちが薄れていたのですが、ここで挫折してしまうと第一部を読んだ努力が無駄になってしまいますので、気合を入れ直して最後まで読み終えようと思います。

この本の出版は昭和48年となっていました。全体的に日焼けして変色してはいますが、その度合いは若干の程度なので読むのに問題はありません。どうやら誰も一度も読んでいないようです。この本は出版されてから今までどのような変遷を辿って来たのか想像もできませんが、誰かに一度は読まれたほうがこの本にとっても幸せではないかとも思うのです。

古典・名作の類はフリーの電子書籍として公開されていて手軽に読めるような時代になりましたが、それでも、自分が小さな子供の頃に出版された昭和の書籍を、肌触りを楽しみながら頁をめくって読んで行くのもまたよろしいのではないでしょうか。

夜明け前 (第2部 下) (新潮文庫)/新潮社
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2-15-1 「秋の祭礼」

とりあえず、笹屋庄助と小笹屋勝之助の二人は青山の本家まで半蔵を連れ戻りました。これは捨ておくべき場合ではないとして、親戚旧知のものがにわかな評定のために旧本陣に集まりました。一同は相談の上、半蔵その人をば旧本陣の店座敷に押しとどめ、小用に立つ時でも見張りのものをつけることにしました。一同の畏れは、献扇事件以来とかくの評判のある半蔵が平常の様子から推して、いよいよお師匠さまもホンモノかということでした。こんな取込みの中で、秋の祭礼は進行しました。

どうして半蔵のような人が青山の家に縁故の深い万福寺を焼き捨てようと思い立ったでしょう。多くの村民にはどこにもその理由が見い出せませんでした。勤行を懈らない松雲のよく護っている寺を無用な物として、それを焼き捨てねばならないというは、ほとんど誰にも考えられないことでした。

半蔵の従兄、栄吉は親類仲間でも決断のある人です。事ここに至っては栄吉も余儀ない場合であるとして、翌朝は早くから下男の佐吉に命じ裏の木小屋の一部を片づけさせ、そこを半蔵が座敷牢の位置と定めました。栄吉はまた、町の重立った人々にも検分に来てもらって、木小屋の内の西のはずれを座敷牢とし、用心よくすべきところには鍵をかけるようにしたことなぞを説き明かしました。

 

2-15-2 「座敷牢」

座敷牢は出来ました。そこで栄吉は親戚旧知のものを旧本陣の一室に呼び集めてそのことを告げ、造り改めた裏の木小屋の一部にはすでに畳を入れるまでの準備もととのったことを語り、さてそちらの方へ半蔵を導くには、どう彼を説得したものかの難題を一同の前に持ち出しました。この説得役には笹屋庄助が選ばれました。いかな旧組頭の庄助もこの役廻りには当惑しました。

実に急激に、半蔵の運命は窮まって行きました。栄吉らは別室で庄助の返事を待っていましたが、その庄助が店座敷から空しく引き返して行って、容易には親類仲間の意見に服しそうもない半蔵の様子を伝えると、いずれも顔を見合わせて、ほとんど彼一人の処置にこまってしまいました。この際半蔵のからだに縄をかけるほどの非常手段に訴えてまでも座敷牢に引き立て、一方には彼の脱出を防ぎ、一方には狼狽する村の人たちを取り鎮めねばならないということになりました。ところが、誰もお師匠さまを縛るものがいません。その時、蓬莱屋の新助が進み出て、これは宗太を出すにかぎる、宗太なら現に青山の当主であるからその人にさせるがいいと言い出しました。

いよいよ一同の評議は一決しました。

「お父さん、子が親を縛るというはないですが、御病気ですから堪忍してください」

と半蔵の前に跪いて言ったのは宗太です。

「お前たちは、俺を狂人と思ってくれるか」

その時、栄吉の手から縄を受け取った宗太が自分の前に来てうやうやしく一礼するのを見ると、彼は何らの抵抗なしに、自分の手を後方に廻しました。そして子の縄を受けました。

 

2-15-3 「お粂の見舞い」

植松の家に嫁いて入っているお粂がこの報知に接して、父の見舞いに急いで来たのは、やがて十月の十日過ぎでした。

「ああ、お父さんもとうとう狂っておしまいなすったか」

その考えは、駒ヶ岳も後方に見て木曽路を西へ急いで来る時の彼女の胸を往ったり来たりしました。三留野泊りで、お粂は妻籠に近づきました。お粂と供の手代が着いたのを見ると、寿平次は長い病苦も忘れたように両手をひろげて見せ、大事な入れ歯も吹き出さないばかりに笑って、附近の休み茶屋の方へお粂らを誘いました。

「まったく、半蔵さんがあんなことになろうとは誰も思わなかった。一寸先のことは分からんね。」

寿平次は言いました。

父のことが心にかかって、お粂はそう長いこと妻籠の伯父の家にも時を送りませんでした。三、四年ぶりで彼女は妻籠から馬籠への峠道を踏みました。馬籠にある彼女の生家も変わりました。彼女は旧い屋敷の内の裏二階まで行って、久しぶりで祖母のおまんや嫂のお槇と一緒になることが出来ました。父の看護に余念のないという母お民も、彼女の着いたことを聞いて、木小屋の方から飛んでやって来ました。

三棟ある建物のうち、その二棟は米倉として使用し来たったところであり、それに連なる一棟が木小屋です。裏の竹藪へ来る風の音にでも眼をさましたかして、半蔵の呼ぶ声がします。お粂は母について父の臥たり起きたりする部屋に入りました。親子のものが久しぶりでの対面はその座敷牢の内でした。その時、お粂は考えて、言葉にも挙動に、おなるべく父を病人扱いにしないようにしました。それが半蔵の心をよろこばせました。

お粂も実はそう長く馬籠にとどまれないで、二、三日の予定で父を見舞いに来た人でした。結局、お粂もまた隠れるようにして父から離れて行くのほかはなかったのです。

 

 

座敷牢に半蔵を連れて行くために縄を掛ける役目を引き受けねばならなかった息子の宗太、そして何の抵抗もなしに息子の縄を受ける半蔵...ここまで狂わせてしまったのは一体何だったのでしょう。

 

 

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