読書シリーズの第二弾です。今回は島崎藤村の「夜明け前」を読んでいましたが、第一部を読み終えたところで中断していました。中だるみしてしまい、第二部へ取り掛かる気持ちが薄れていたのですが、ここで挫折してしまうと第一部を読んだ努力が無駄になってしまいますので、気合を入れ直して最後まで読み終えようと思います。

 この本の出版は昭和48年となっていました。全体的に日焼けして変色してはいますが、その度合いは若干の程度なので読むのに問題はありません。どうやら誰も一度も読んでいないようです。この本は出版されてから今までどのような変遷を辿って来たのか想像もできませんが、誰かに一度は読まれたほうがこの本にとっても幸せではないかとも思うのです。

 古典・名作の類はフリーの電子書籍として公開されていて手軽に読めるような時代になりましたが、それでも、自分が小さな子供の頃に出版された昭和の書籍を、肌触りを楽しみながら頁をめくって読んで行くのもまたよろしいのではないでしょうか。

夜明け前 (第2部 下) (新潮文庫)/新潮社
¥価格不明
Amazon.co.jp

 

2-10-3 「東京への旅」

明治七年は半蔵が松本から東京へかけての旅を思い立った年です。いよいよ継母おまんもお粂の縁談を断念し、残念ながら結納品をお返し申すとの手紙を添え、稲葉家との交渉を打ち切りました。お粂はもとより、文字通りの復活を期待さるる身であり、父の励ましに耳を傾け、一日は一日よりその気力を回復して来ました。母としてのお民は父としての彼が受けたほどの深い打撃を受けていませんでした。今は留守中のことを家のものに頼んでおいて、自己の進路を開拓するために、しばらく郷里を離れてもいい時が来たように彼には思われました。

五月の中旬のはじめに彼は郷里を出発しましたが、親しい人たちの見送りも断わり、供も連れずでした。彼も心身の過労には苦しんでいました。しばらく休暇を与えられたいとの言葉を残し、東京の新しい都を見得る日のことを想像して、やがて彼は塩尻、下諏訪から追分、軽井沢へと取り、遠く郷里の方まで続いて行っている同じ街道を踏んで碓氷峠を下りました。

半蔵が多くの望みをかけてこの旅に出たころは、あたかも前年十月に全国を震い動かした大臣参議連が大争いに引き続き戊辰以来の政府内部に分裂の行われた後に当たります。場合によっては武力に訴えても朝鮮問題を解決しようとする西郷隆盛ら、欧米の大に屈して朝鮮の小を討とうとするのは何事ぞとする岩倉大使および大久保利通らの帰朝者仲間、新国家建設の大業に向かった人たちも、六年の後にはやかましい征韓論を巡って、互いにその正反対をかつての朋友に見出したのでした。

近衛兵の年限も定まって一般徴兵の制によることと決してからは、長州以外の二藩の兵は非常に不快の念を抱きました。そこへ外国交渉のたどたどしさと、当時の朝鮮方面よりする東洋の不安です。古今内外の歴史を見渡して、外は外国に侮られ、内は敵愾の気を失い、人心は惰弱に風俗は日々頽廃しつつあるような危殆極まる国家は、これを救うに武の道をもってするのほか、決して他の術がないとは、それらの人たちが抱いて来た社会改革の意見でした。

岩倉大使一行の帰朝、征韓論の破裂、政府の分裂、西郷以下多くの薩人の帰国、参議副島、後藤、板垣、江藤らの辞表奉呈はその結果でした。この内争の影響がどこまで及んで行くとも測り知られませんでした。時には馬、時には徒歩の旅人姿で、半蔵が東京への道をたどった木曽街道の五月は、この騒ぎの噂がやや鎮まって、さながら中央の舞台は大荒れに荒れた風雨の後のようだと言わるるころでした。


2-10-4 「多吉夫婦」

町々へは祭りの季節が来ているころに、彼も東京に入ったのでした。時節がら、人気を引き立てようとする市民が意気込みのあらわれか、町の空に響く太鼓、軒並みに連なり続く祭礼の提灯なぞは思いのほかの賑わいでした。東京はまず無事。その考えに半蔵はやや心を安んじて、翌日はとりあえず京都以来の平田鉄胤老先生をその隠棲に訪ねました。上京三日目の午後にようやく彼は多吉夫婦が新しい住居を左衛門橋の近くに見つけることができました。以前半蔵が木曽四宿総代の庄屋として江戸の道中奉行から呼び出された折り、5ヵ月もともに暮して見たのもこの夫婦でした。

もとより今度の半蔵が上京はただの東京見物ではありません。彼が田中不二麿を訪ねた用事というも他ではありません。不二麿は尾州藩士の田中寅三郎と言ったころからの知合いの間柄で、この人には自己の志望を打ちあけ、その力添えを依頼しました。不二麿は文部太丞の位置にあるから、この省務一切を管理する人に引き受けてもらったことは、半蔵としても心強いのでした。

多吉夫婦は久しぶりで上京した半蔵をつかまえて、いろいろと東京の話をして聞かせますが、寄席の芸人が口に上る都々逸の類まで、英語まじりのものが流行して来たと言って半蔵を笑わせました。でも、東京は発展の最中です。今は旅そのものが半蔵に身にしみて、見るもの聞くものの感じが深いのでした。

不思議な縁故から、上京後の半蔵は、教部省御雇いとして一時奉職する身となりました。とりあえず、彼はこのことを国もとの妻子に知らせ、多吉方を借の寓居とするよしを書き送り、旅の心もやや定まったことを告げてやりました。

今は親しいものの誰からも遠く、定められた役所の休日に、半蔵は多吉方の二階の部屋にいて、そろそろ梅雨の季節に近づいて行く六月の町の空を眺めながら、家を思い、妻を思い、子を思いました。うっかりすると御一新の改革も逆に流れそうで、心あるものの多くが期待したこの世の建直しも、四民平等の新機運も、実際どうなろうかとさえ危ぶまれました。彼は自分で自分に尋ねて見ました。

「これでも復古と言えるのか」

その彼の眼前に展けつつあったおのは、帰り来る古代でもなくて、実に思いがけない近つ代でした。

 

 

英語まじりのものが流行して来たのは、明治のこの頃が始まりなんですね。それから大正、昭和、平成と時代は下っても、英単語をそのままカタカナ書きにして使ってしまうのは変わらないようです。ロマンを“浪漫”と訳してしまうような、見事な日本語への同化は簡単にはできないんでしょうね。

 


夜明け前より瑠璃色な フィーナ・ファム・アーシュライト (1/6スケールPVC塗装済み完成品)/アトリエ彩
¥9,720
Amazon.co.jp 
 


夜明け前より瑠璃色な 朝霧麻衣お風呂ポスター/コスパ
¥1,404
Amazon.co.jp