毎週日曜の朝に「NHK俳句」という番組が放映されています。これまでも時々見てはいたのですが、私も番組に合わせて、下手でも一句ずつ作ろうかと思うようになりました。できるだけ続けていこうと思います。

 

今回の兼題は「節分」、または「追儺」でした。「節分」は立春の前日を指します。節分と言えば“鬼は外、福は内”の豆撒きを一番に連想しますが、本来「節分」は時候の季語で、豆まきなどの行事とは異なるので、「節分」の兼題で豆撒きを詠むのは間違っているそうです。わたしも危なく、豆撒きの行事を詠んでしまうところでした。

もう一つの「追儺」は、元々は大晦日の行事で、「儺」(疫鬼)を追い払う、という意味です。昔は、季節の変わり目に悪鬼病魔が横行すると信じられていたので、宮中では節分のたびにこのような儀式が行われていました。

そもそも節分は年に四回ありましたが、冬から春に変わるこの時期の節分のみ現代に残っているのは、寒い冬の季節を早く終わらせて、暖かい春を迎えたいという人々の気持ちが表れているのかなとも思います。

 

 節分や夕餉に豆腐分かちたる

 (せつぶんや ゆうげにとうふ わかちたる)

 

「節分」という季語の本来の意味を知って、今回は頭を捻り、句のほうも捻って考えました。行事や人事ではなく、時候を詠むことを念頭に、しかし豆撒きのような行事が浸透しているのも事実です。よって、背景にそのような場面を何となく連想させるような句を目指して詠んでみたのがこの句です。

明日からは季節が変わって春になるという、目には見えない時間の区切りを、夕餉に出した豆腐を箸で二つに切り分けた行為で表現してみました。どうして豆腐かというと、それはもちろん豆撒きの大豆が豆腐の原料になるということです。うーん、今回は考え過ぎて、技巧に拘った不自然な句になったかなぁ。

 

自分の歳の数ほど豆撒きの豆を食べるようにと教わった人は多いはず。子供の頃はもっと欲しかったのに、この歳になると結構大変で、そもそもそんなことを守っている人も少ないのでは。誕生日のケーキに立てるロウソクの本数と同類の話ですね。

とは言っても、世間の鬼は増えているようで、その割合からするとわたしももっと豆の数を増やして、少しでも世の役に立つようにしないといけないような気もするこの頃ではあります。

 

 



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