読書シリーズの第二弾になります。今回は島崎藤村の「夜明け前」を選びました。思えば、前回の「武田勝頼」は甲斐武田家の滅亡を書いた小説でしたが、今回は見方によれば江戸幕府徳川家の滅亡の話とも考えられます。それで、この小説を選んだという理由もありますが...この本の出版は昭和48年となっていました。全体的に日焼けして変色してはいますが、その度合いは若干の程度なので読むのに問題はありません。どうやら誰も一度も読んでいないようです。この本は出版されてから今までどのような変遷を辿って来たのか想像もできませんが、誰かに一度は読まれたほうがこの本にとっても幸せではないかとも思うのです。

今回は、半蔵たちの師匠である宮川寛斎らが横浜にやって来ます。目的は外国人との生糸貿易です。

 

1-4-1 「安政の大獄」

中津川の商人、万屋安兵衛、手代嘉吉、同じ町の大和屋李助、これらの人たちが生糸売込みに眼をつけ、開港後まだ間もない横浜へとこころざして、美濃を出発して来たのはやがて安政六年の十月を迎えたころでした。中津川の医者で、半蔵の旧い師匠にあたる宮川寛斎も、この一行に加わって来ました。

一行四人は、中津川から馬籠を越え、木曾街道を江戸へと取り、ひとまず江戸両国の十一屋に落ち着き、あの旅籠屋を足溜りとして、それから横浜へ出ようとします。

時は安政の大獄に後にあたります。彦根の城主、井伊掃部頭直弼が大老の職に就いたころは、どれほどの暗闘と反目があったか知れません。強い圧迫は京都を中心に渦巻き始めた新興勢力の苗床にまで及んで行きました。水戸の安島帯刀、越前の橋本左内、京都の頼崖、長州の吉田松陰なぞは、いずれも恨みを呑んで倒れて行った人たちでした。

寛斎がこの出稼ぎに来たころは六十近くでした。さしあたり寛斎の仕事は、安兵衛らを助けて横浜貿易の事情をさぐることです。貿易の様子も分かり、生糸の値段も分かると、安兵衛と李助は引き揚げ、出来るだけ多くの糸の仕入れをしようとし、寛斎のみが神奈川に残ります。中津川と神奈川の連絡を取ることは、一切寛斎の手に委せられました。

 

1-4-2 「開港か攘夷か」

十一月を迎えるころには、寛斎は一人牡丹屋の裏二階に残りました。古い桐の机があります。本が置いてあり、その側には馬籠の半蔵、中津川の蜂谷香蔵、同じ町の浅見景蔵---弟子たちが集まっているのでした。

新たな外来の勢力、五ヵ国も束になってやって来た欧羅巴の前に、はたしてこの国を解放したものかどうかのやかましい問題は、その時になってまだ日本国中の頭痛の種になっていました。開港か攘夷か、これほど矛盾を含んだ言葉もありません。

寛斎は日にいくたびとなく裏二階の廊下を往ったり来たりするうちに、眼につく椎の風情から手習いすることを思いつきます。旧暦十二月、遠く来ている思いを習字にまぎらわそうとして、そこへ江戸両国の十一屋から届いたと言って、宿の年とったかみさんが二通の手紙を持って来ます。馬籠の方の消息で、伏見屋金兵衛の息子、鶴松の死が報じてありました。

寛斎の周囲にある旧知も次第に亡くなりました。追い追いの無常の風に吹き立てられて、早く美濃へ逃げ帰りたいと思うところへ、横浜の方へは浪士来襲の噂すら伝わって来ました。

 

安政の大獄という井伊直弼のあまりにも強引なやり方は、当然のごとくに多くの人々の恨みの念を生じさせました。そしてそれらの怨念は井伊直弼が桜田門外で落命した後も、さらに浪士らの倒幕運動としてその形を表して来るのです。








 


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