毎週日曜の朝に「NHK俳句」という番組が放映されています。これまでも時々見てはいたのですが、私も番組に合わせて、下手でも一句ずつ作ろうかと思うようになりました。できるだけ続けていこうと思います。

 

 

今回の兼題は「葡萄」でした。蔓性の落葉低木でどんどん伸びて、夏から秋にかけて房の実が熟して、そのまま果物としてはもちろん、ジャムやワインなどにもなります。食欲の秋には外すことのできない果実の一つです。葡萄の生産地というとヨーロッパ各国を先ず思い浮かべるのですが日本では山梨、長野、それに岡山でしょうか。山梨は、扇状地の地形が果実の生産に向いていて、それで生産量が多いのだと、小学校の社会で習ったような記憶があります。山梨なのに、梨ではなくてなぜ葡萄なんだろうと、当時は不思議でした。

 

 

 ぶどう抱く深き子宮の真ん中に

 (ぶどうだく ふかきしきゅうの まんなかに)

 

 

葡萄を季語として句を詠むということで、改めて葡萄をまじまじと見直してみました。そうしたら、これほど水分を含んで、それを水 = 生命の源 として想像させてくれる果実は葡萄以外にないなあ、と思ったのでした。

一つひとつが薄い皮に覆われていて、その中には半透明で瑞々しい球形の実が大事に抱え込まれています。食べる時、皮を剥かないといけませんが、たっぷり水分を含んでいるのでプルンと簡単に向けて、ちょうど一口サイズの大きさにできた、紫だったり黄緑だったりはしますがどれも生命の色合いを持った丸い実が出て来ます。そんな葡萄の実を食べるのは、何か生命の一粒一粒をからだの中に取り込んでいるような錯覚を感じてしまいます。

それは、女性であればもしかすると、生命を宿す子宮に、同じ生命の源のような葡萄をその真ん中に抱くような感覚なのでしょうか。房になって沢山の実ができるのも、子供が沢山生まれて子孫が繁栄するイメージに繋がるようでもあります。

男のわたしとしては、葡萄から醸造されたワインなど飲みながら、葡萄の纏う生命の深遠さを味わって感じ取るばかりです。などというと恰好いいですが、ただアルコールが好きなだけですね。

 

 

 

 

 

ペタしてねどくしゃになってね!