今回読んだ本は、児島襄さんの「指揮官(上)」です。「指揮官(下)」と合せて2冊で構成されています。上巻では14人、下巻では13人の第二次世界大戦において名を残している指揮官を取り上げて、それぞれが直面した事態や作戦における指揮官ぶりからその人物像を描いた本です。上巻は日本帝国の陸海軍将官を、下巻は外国の指揮官、指導者を選んでいます。

上巻は、山本五十六を始めとして、途中は山下奉文、牟田口廉也、小沢治三郎...と取り上げられ、最後は阿南惟幾で結ばれています。その中でも、わたしとしてはその名声を聞いたことがなかった安達二十三中将を挙げようと思います。

 


指揮官 (文春文庫)/児島 襄
¥価格不明
Amazon.co.jp


 

「安達二十三」は「あだちはたぞう」と読みます。安達中将は東ニューギニアを守備する第十八軍の司令官です。非常に勉強家であって、いつも二、三百冊の本を並べており、それも文庫などの類ではなく分厚い歴史書や哲学書が多かったそうです。心からの部下想いであり、神髄は「人間として実行できる命令を出す、部下が直面する苦難は指揮官も共に味わう」というものでした。

ガダルカナル島が米軍に奪取された後、中部、北部ソロモン諸島と東ニューギニアは米・オーストラリア軍の脅威に晒されることになりました。第十八軍の基幹兵力は三個師団十万人にも上っていましたが、東ニューギニアの峻嶮な山脈と鬱蒼たる密林という地形のため、各師団は連携できず、陸の孤島のように分断されていました。制空権、制海権を奪われ、増援しようにもできない状況で、日本軍は持久戦で耐えますが、弾薬、食糧が絶え、兵力も漸次減少して行く中、前線の隊長たちは突撃をして軍人らしい死を迎えることを望みます。しかし安達中将は決して玉砕突撃を認めず、最後は撤退を命令しました。けれども撤退もまた“死の行軍”であり、食料は乏しく、連日豪雨に襲われ、高山の極寒の中、何千人も将兵が倒れてしまいます。安達中将は、毎日よろよろと密林から現れる将兵を泣きながら出迎えたそうです。

その後、転進を重ねますが、とうとう米軍の上陸により退路を遮断されてしまいます。最後の反撃も損害が甚大となり中止せざるを得なくなりました。安達中将は自活による持久を指令しました。安達中将は体重が減り、持病の脱腸が悪化し、歯もほとんど抜け落ちましたが、自身のことは顧みることなくどんな小部隊にも訪ねて行って激励したそうです。サゴ椰子の実から採る澱粉が主食で、その採取法や永住農園の開拓計画など、生活の基本設計は全て安達中将が考案しました。困苦の戦場でただ一人の抗命者も出ず、原住民たちは進んで食糧を日本軍に提供したそうです。ある参謀はその時の安達中将を、食糧技術者であり、宗教家であり、行政家であったと回想しています。

終戦後、収容所では勧められた脱腸の手術も拒否し、激痛に耐えながら天秤棒で水を運び、炎熱の下で草むしりをするなど、課せられた労役に服しました。安達中将は終身刑を受けますが、同囚の部下を慰め、その心の柱となって過ごし、戦犯裁判が終了する日を待ちました。終了すれば、新たに部下が処刑されることもなく、指揮官として部下の前途に安心できるからです。

最後に、安達中将は弁護団に謝辞を述べ、身の回り品を整理した後、果物ナイフで割腹するという克己の死を遂げます。オーストラリアのキャンベラにある戦争博物館には、安達中将の軍刀がその他の日本軍遺品とともに展示されており、オーストラリア陸軍の軍人からも敬礼されるほどの敬意を持って扱われているそうです。

 

日本陸軍の指揮官は独断専横、無謀な命令、責任転嫁などの無能ぶりがよく取り出たされますが、安達中将のような優れた指揮官も数多くいた訳であり、それが一部の指導者の誤った判断により敗戦となったが故に、まとめて全てが悪で、何もかもが間違っていたとされてしまうことがありますが、それはとても残念なことです。自らの目で見、耳で聞き、頭で考え、心で感じることが大事なんだと思います。




HG 1/144 GNX-Y903VW ブレイヴ 指揮官用試験機 (機動戦士ガンダム00)/バンダイ
¥1,728
Amazon.co.jp


COMBAT ARMORS MAX06 太陽の牙ダグラム 1/72 Scale ブロムリー J.../Max Factory
¥3,600
Amazon.co.jp


ペタしてね 読者登録してね