西武などで歴代最長となる29年間プレーした工藤公康投手(48)が9日、自身のブログで現役引退を表明した。「痛みが消えなかったことが、引退を決断した最大の理由です」と左肩痛を引退理由としている。
この日、工藤は大阪市内でミズノのイベントに出席。講演などを行った。広島・石井に「長くやれよ」と声をかけるなど穏やかな表情を見せていたが、報道陣が待ち構える通路を避けてホテルを後にした。
9日未明に更新されたブログは「30年間ありがとうございました」というタイトル。「大変心苦しく辛い決断ではありますが、私、工藤公康は『引退』をすることにしました。学ぶこと!知ること!考えること!を忘れず、次のステップへと進んでいこうと思います」などとつづっている。
昨季限りで西武を戦力外となった工藤は、今季はどこの球団にも所属せず現役続行を目指していた。当初は横浜DeNAの初代監督就任が確実とみられていたが、合意目前の5日に破談。その後も現役続行を表明していたが、左肩の状態がそれを許さなかったようだ。
○…引退の工藤に、中日のベテランコンビ山本昌&山崎が感謝の言葉を口にした。同じ左腕で来季46歳の山本昌が「(現役を)長くやる道をつくってくれた人」と頭を下げると、愛工大名電の後輩でもある43歳の山崎は「オリックス、楽天と契約が切れた時に声をかけてくれた。工藤さんに励まされてやってきた」としんみり。「来年もプレーできるので、頑張っていきたい」と現役にこだわる2人は口をそろえた。(スポーツ報知)
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おはようございます。
工藤公康投手がついに現役続行を断念した・・・本当に長い間お疲れ様でした。
工藤投手の思い出といえば、ライオンズ時代に日本シリーズで何度も我がジャイアンツの前に立ちはだかって煮え湯を飲まされ続けた事が印象深かったのだが、後年、ホークスを経てジャイアンツにFA移籍でやってきた時には、その円熟のピッチングに大きな感銘を受けたものだった。
「おじさんは頑張りましょう!」・・2005年の東京ドームのお立ち台でこう発言した試合、ドラゴンズの山本昌投手と先発で投げ合い「おじさん対決」に投げ勝った結果だった。この年まで2ケタ勝利を挙げていて、当時元気のなかったジャイアンツを孤軍奮闘で鼓舞させてきた事が、後にジャイアンツの投手陣復権につながって行ったのだ。後年ジャイアンツで「47番」を継承した山口鉄也が工藤投手から大きな薫陶を受けた事はここに記すまでもないだろう。
2007年、門倉健投手の人的補償でベイスターズに移籍・・人的補償のプロテクトから漏れた事について様々な議論が湧き上がったが、「自分がフロントだったら、43歳の男をプロテクトしない。それよりも自分を必要と言ってくれるチームがあることが嬉しい」・・あのままジャイアンツに残っていたら、ここまで現役生活を続けられなかったかもしれない。個人的には残って欲しかったけれども。
一度きりしかない野球人生、ここまでできれば十分だ。自分の引き際を自分で決められる選手なんてほんのひと握り。でも、ご本人は決して「全てやり尽くした」って思っていないのかもしれない。「まだまだ自分は野球が上手くなれる」とさえ思っているのかもしれない。
でも、48歳といえば、普通に生活していたって身体のどこかしらに不安を抱えるような年代だ。そろそろ方向転換の潮時ということでよかったのではないだろうか。
ベイスターズ監督就任は流れてしまったが、いずれ指導者として声がかかるのも時間とタイミングの問題だろう。「投手兼任監督」の可能性もあり、「ピッチャー交代、オレ」って采配を振るうのも見てみたかった気がしないでもなかったけどね。
「30年間ありがとう」の言葉で引退を表明した工藤投手・・我々ファンからもこの言葉でエールを送りたい。
「30年間ありがとうございました」
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