クリニックに初診の患者さんが見えて、疾患がパニック障害だと分かると、精神科医はほっとして、実は少し嬉しくなる。パニック障害が治る疾患であり、治った時の患者さんが目に浮かぶからだ。精神科に通っている患者さんが、完治して「通院終了です」と医者の側から言えることは多くない。長期の通院であったり、再度の通院を要する場合の方が多い。それがパニック障害だと治る。身体病のように治る。かつてはパニック障害も難治だったが、SSRI が出てから治る病気になった。殆んどの患者さんに SSRI は著効する。医師の側に治るという確信があると、それは患者さんにも伝わり、治療は好循環に入る。
ただし、患者さんの抱える悩みがパニック障害だけではないかも知れぬことは頭に置いておかねばならない。でないと、医師の方で、そろそろ治癒かなと思った時に「全然治ってない。苦しいままだ」と責められることになる。それと SSRI の止めかたには慎重であらねばならない。中断症候群の症状は苦しい。
無論、パニック障害の治療は投薬ですむものではない。家族も含めて、幾つかのムンテラ(簡易な精神療法)は必須である。
1、パニック障害の患者さんの症状の苦しさを周りの人に理解してもらう。それには家族なりにパニック発作を追体験してもらうことが一番である。
4年前、韓国のハロウィンで大きな事故があったが、あれを家族には思い浮かべていただく。あの状況はまさにパニック障害の患者さんが発作中、あるいは予期不安のピークにあって抱くイメージと感覚である。限定された空間の中、次第に人の圧が増し、身動きがとれず、逃げ場がなくなる。自分の足で立っているかも定かではなく、方向感覚もホワイトアウトのように失われている。全ての能動性が奪われ、閉所に拘束され、気道が締め付けられ、心臓は押しつぶされる。
追体験するには刺激が過剰な場合は、車を壊して騒いでいた頃の渋谷ハロウィンの雑踏を想像していただく。
これで非病者にもパニック発作がいかなるものかおおよそイメージを持ってもらえる。
大島奈保美さんの言う「暑さ恐怖 thermophobia 」も、群衆を暑い空気に置き換えれば分かりやすい。
2、人類がまだ狩猟民族だった頃、災厄への備えは物質的にも精神的にも皆無に等しかっただろう。地震や台風などの天変地異には文字通りパニックになるしかなかった。パニック発作は、わたしたちの遠い祖先の体験の名残りなのかも知れない。「遺伝子が警報を鳴らしているのかも」、「日頃はその遺伝子はあなたを臨機応変に動ける人にしているかも知れない」というような話を患者さんにムンテラすると「自分が特別ではないんだと少し気が楽になった」と言う人も中にはいる。実際パニック障害の患者さんには気働きし過ぎる人が多い。
3、患者さんにもソウルあるいは原宿のハロウィンの状況は利用する。不幸なあの事故を逆手に取り、パニック障害の患者さんの視点を変える機会と捉えらることはできないかと試みるのである。
「あなたはあの映像を見て不安になっています。あの事故状況を恐れていますね。あれを回避しなければならないと思うでしょう」
「はい」
「それは当然のことで、あなたがやるべきなのは、まさにああいう危険の回避です」
「そうですね」
「でも、離陸前の航空機や快速電車の中であなたが回避しようとしているのは群衆ではない。本当は迫り来る群衆を恐れなければならないのに、その時見ているのは、今にも逃げ出そうとしているあなた自身です。あなた自身の身体変化です」
「・・・」
「それ、本末転倒(順序が逆)ですよね」
「うーん、そうかな?」
「その時は一度ゆっくり呼吸して何を恐れなければならないか、よく考えましょう」
「でも飛行機や快速電車に乗ると、そわそわして・・・」
「航空機や快速電車の中を走っても早く着く訳ではないから、しっかり座って考えましょう」
「そうしてみますが・・・」
「見るべきは、自分ではなく群衆です。群衆に焦点を絞りましょう。今、航空機や快速の中で、あの危険な状況が起こり得るか。起こるには、どういう条件が必要か。今飛行機を降りるのとこのまま座っているのと、どちらが群衆に遭遇する確率が高いか・・・」。
こういう禅問答のような対話が患者さんの頭に残っていれば、それが気持ちのゆとりに繋がる。そして、大島奈保美さんの言う「自分を俯瞰できる(メタ認知)」ようになるとパニック発作はかなり抑えられる。あくまで完治させるのは SSRI だが…。