なおみのブログ研究所が、『大島奈保美さんの「普通は・・・」』で、奈保美さんのブログへのごく素直な感想を述べている。指摘は全て当を得ていると私も思う。奈保美さんの言う「普通は」「皆は」は、本人も意識することなく日常的に使っているし、あるグループが特異的に良からぬ意図をもって使う言葉ではない。
それはその通りなのだが、奈保美さんは表現の仕方を間違ったのだ。これまた表現の問題である。
奈保美さんは福岡の心理カウンセラーの汚いやり方に抗議したいのだが、あの夜ブログを書いている時、その憤りをうまく伝えることができず、「普通はや皆はを使う人たちは云々」という言わずもがなの前置きを書いてしまった。
でも、頭には、これまで嫌というほど味わった、上から目線の蔑みを種にしてほくそ笑むのを三度の飯より楽しんでいるグループのイメージがあったのではないか。奈緒保美さんの「結局、誰かの噂話や誰かの悪口を言うグループ内の話でしょ?」は、それを示唆している。
実際にそういうグループは存在している。奈保美さんには、福岡の心理カウンセラーが同じ穴の狢に見えたし、事実そうである。
奈保美さんの被害者意識を指摘するなら、「なおみのブログ研究所」は良心に誓って、その加害グループに属していないと宣言できるのでなければならない。でなければ、研究所に奈保美さんの被害者意識や言葉遣いの誤りを指摘する資格はない。このような批判ブログを書くこと自体が、奈保美さんが迷いながらも一言発し、結局表現を誤るような心境に追い込まれる一因になっていると思うからだ。自分が加担していながら誤りを指摘するのはフェアではない。その自覚が研究所にあるか?そこが根本の問題である。