小浜漁港の一日が終わる。敦賀、南越前、三国湊、福井、鯖江、武生、小浜と越の国の北前船の寄港地と若狭を軸にはしってきたが、今からは僕の独りよがりの感想です。




五世紀、継体天皇が越の国の武生から畿内に戻る背景には、百済などからの帰化人の経済力があったのは近江や若狭に数多くある百済人の古墳分布や百済帰化人達が鉄器製造や漆、陶器などの大陸技術を根付かせたのをみれば良くわかる。


今上天皇の直系で、神武ではなく始祖とされる継体天皇が古代律令制から大化改新を経て中央集権の礎としての勢力を固めていった過程と任那や百済の滅亡を高槻の今城塚古墳(仁徳天皇陵に次ぐ規模、継体天皇陵とされる)で観て、ゆっくり越の国ツアーをしたいなぁと思ってましたよ。



小浜漁港にベースキャンプを置いて、そこから電動チャリでまずは小浜の国宝群を走り訪ねた。
明通寺の本堂や古錆びた三十塔、仏像は国宝の名に恥じない若狭の国の山々に溶け込む力強さと優美さがありました。



東大寺二月堂で行われるお水取りは、ここ若狭の神宮寺のお水送りの神事から神水を送られる。若狭彦、若狭姫を祀る神宮寺、神仏習合の、まことに古代の神々は、細部にまで配慮され畿内の春の綾を季節に沿って上手に顕にされるなぁ。



話は逸れましたが渡来人、越の国、北前船と越の国の地政学的な位置、深く興味を惹きつけられるなぁ。
などと思っていたら『年縞博物館』なるものにぶち当たった。


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若狭歴史博物館に行く途中に
『なんや、どう読むんやろ?.
とししま?ねんこう?』
聞いたことのない"ねんこう"と言う言葉に引き寄せられて三方五湖の博物館に。.



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要は70,000年間に毎年湖底に降り積もったチリや木の葉などが木の年輪のように層をなして堆積しており、70,000年間が40mもの湖底の地層に、一年も欠けることなく、層になっており、それをズボッと取り出して横に展示されてあった。.
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年輪を調べればその年自然界にあったこと、噴火や洪水、植生や動物などあらゆる地球の自然界の出来事がその年の標本として使えると言う、ものすごい物差しみたいなものだった、これは面白かったなぁ。詳しく年縞で調べてみてください。
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#キャンパー野外飯
#コロナ撲滅、外食頑張れ❣️
#渡来人
#司馬遼太郎さんの街道をゆくに,
#御饌国若狭
#越の国が好きだ。
#欧亜国際列車❗️