レスリング66キロ 米満達弘 24年ぶり金メダル | フィギュアスケート研究本

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レスリング フリー66キロ 米満 金 24年ぶり 

2012年8月13日 07時05分

◇ロンドン五輪 レスリング 男子66キロ級
 
 ロンドン五輪は十二日、最終日を迎えた。レスリング男子フリースタイル66キロ級で、米満達弘(自衛隊)が金メダルを獲得した。第十六日の十一日にはボクシング男子ミドル級で村田諒太(東洋大職)が優勝。日本勢のメダルは、二〇〇四年アテネ五輪の三十七個を超え、史上最多の三十八個となった。日本時間十三日未明から閉会式があり、七月二十五日の女子サッカーから始まった熱戦が幕を閉じる。

 米満達弘(26)の動きは、映画「燃えよドラゴン」のテーマ曲に乗っているように見えた。レスリング男子フリースタイル66キロ級決勝で見せた軽快なステップと果敢なタックル。金メダルをつかみ取り、男子レスリング界の「ヒーロー」になった。
 富士山の麓、山梨県富士吉田市で育った少年が格闘家を目指したのは、カンフー映画のスター、ブルース・リーのファンだった父弘昌さん(57)の影響だ。休日の楽しみは家族そろってカンフー映画鑑賞。少年は小学校の鉄棒で懸垂したり、坂道を逆立ちして歩いたりした。
 ヒーローへの憧れは、いつしか五輪への夢に。「金メダルを取れる種目を」と、中学で柔道、高校でレスリングに打ち込んだ。

 拓大一年になると、中東への武者修行で心身にむちを入れた。親の仕送りとOBからのカンパをためて、先輩三人と四十日ほどイランへ。寝台列車や現地案内人の車を十数時間も乗り継ぎ、各地を転戦した。気分は道場破りに繰り出すブルース・リーだった。

 レスリングは現地の人気競技。学生の親善試合でも体育館は満員になった。あちこちで爆竹がはぜ、白煙で会場が見渡せない。花束をスタンドの観客にプレゼントすると「負けてしまえ」と投げ返された。
 
地元クラブへ出稽古にも行った。自分を追い込みながら鍛える男たちの姿が刺激になった。「田舎の道場でも日本代表レベルの強さ。どんな練習にも音を上げない人が強い。心が強くなれる人間になりたい」。これまで以上に練習に熱が入るようになった。
 米満には、いつかマットを離れた後にも夢がある。「人を救えたらいい。社会に役立てるような起業をしてみたい」。金メダルを手に、少年時代に思い描いたヒーローであり続けるつもりだ。 (松山義明)

(東京新聞)

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12日、レスリング男子フリー66キロ級で金メダルを獲得し、ガッツポーズする米満達弘(中)=エクセルで(畦地巧輝撮影)

米満が金締め 男子レスリング24年ぶりの輝き

ロンドン五輪レスリング   スポニチ

 男子フリー66キロ級決勝で米満達弘(26=自衛隊)がS・クマール(インド)を2―0で破り、日本男子としては88年ソウルのフリー52キロ級(当時)の佐藤満(現男子強化委員長)以来、24年ぶりの金メダルを獲得した。5月以降はケガにも悩まされながら、昨年の世界選手権銀メダルの悔しさを晴らした。日本選手団の金メダルは7個目。また、メダル総数は史上最多の38個となった。

 激闘を物語る傷が、米満の全身に刻まれていた。初戦で右ふくらはぎを痛め、肉離れとなった。右目は「3回戦で突かれて」充血。同じ試合で口の中に手を入れられ、かき回された。だが、表情一つ変えずに表彰台の真ん中に立った男は「自分は死ぬほど練習してきたけど、他の人も練習してきた。自分が(金メダルを)獲って大丈夫なのかな」と言いながら「夢のようで本当に重いです」と、自らの胸に下がった勲章を見つめた。

 抽選になると「必ず相手の(攻撃権を示す)色が出る」という自称・不運な男は、この日も不運と思われていた。初戦は、昨年の世界選手権王者と銅メダリストの勝者と対戦、勝ち抜いても準決勝では欧州王者が待つブロックに入った。だが、佐藤満・男子強化委員長が「組み合わせに関係なくやれる顔をしていた」という男は初戦から力で道を切り開いた。最後は10年世界選手権王者。第1ピリオドは片脚タックル、第2ピリオドは両脚タックルから「技のイメージが湧いた」ボディースラムを決めた。文句なしの世界一だった。

 拓大時代に読んだ宮本武蔵の「五輪書」を愛し、全てをレスリングにささげてきた。徹底的に合理性を求め、練習スケジュールを管理。だが、5月のW杯で首、6月の合宿で右脇腹を痛め、予定は狂った。「それが一番いらいらするところ」だった。さらに、昨年の世界選手権で銀メダルを獲得し、日本男子の金メダル奪回の期待を一身に集める環境にあった。それでも「重圧は、ある程度まではガソリン。きょうの(重圧)は、ちょうどいい感じ。ハイオクです」と受け止める度量があった。

 「過去の自分を超えたいと思ってやってきた。獲った瞬間はうれしかったけど、次は何をしよう?」。身長は1メートル69だが、腕を広げた長さは1メートル84。関節の可動域が広いのも特徴で、背筋が厚くなるまでは両腕でつくった輪を飛び越し、ぐるりと回すこともできた。韮崎工時代は前屈で目盛りを振り切り測定不能だったという柔軟性。その身体的な能力はもちろん「レスリングを極めたい」という純粋な思いが米満の強さの秘密だ。「レスリング人生の目標は金メダルだけど、人生の目標は世界平和。金メダルじゃ世界は救えない」と言う26歳、この日の金色のメダルで男子レスリングの栄光の歴史を救った。 【米満達弘】

米満、競技「諦めない」人生「感謝」の求道者

2012.8.13 00:48 産経ニュース

 史上最多の38個目のメダルをもぎ取ったのは、柔道から転身した“求道者”だった。レスリング男子フリースタイル66キロ級で大会最終日の12日、「有終の金」に輝いた米満達弘(26)=山梨県出身。座右の銘は競技では「諦めない」、人生では「感謝」。2つの言葉を込めた自分だけのレスリングを、ロンドンのマットに刻み込んだ。

 決勝で強敵のインド選手を倒し、両手でガッツポーズ。充血した左目でマットに一礼し、日の丸を羽織って何度も旋回した。

 「夢みたい。まさか取れるとは思っていなかった」

 競技を始めたきっかけは勧誘だった。柔道部に所属した中学3年のころは体の線が細く、体重50キロほど。その体で100キロ近い生徒にがんがん当たっていく姿に、山梨県立韮崎工業高校レスリング部の文田敏郎監督(50)は「レスリングにほしい」。中学校を訪れ口説き落とした。

 実家は富士山の麓の富士吉田市。高校まで車でも1時間半かかった。文田さんは教え子の母親が開いた下宿に世話してもらう手はずを整え、米満家のために奨学金を得た。「教科書的な型はだめ。伸び伸びやらせた方がいい」。文田さんはそう考え、相手の足をたぐり寄せる独自色の強いタックルが生まれた。

 米満自身、「日常の全ての行動をレスリングに結びつけて考えている」というほど高い志を持つ。「ビールも飲まなければ、とんかつの衣も丁寧に取って食べる。何を言っても『ハイ、オッス』と返事して立派にこなす」。拓殖大レスリング部で指導した西口茂樹部長(47)はこう語る。

 幼いころブルース・リーにあこがれ、試合でカンフーのステップを踏んでみせるなどひょうきんな一面も持つ。拓大レスリング部の宮沢正幸元監督(82)は「本当は目立ちたがりなのだろう」。この日も、金メダルを決めると、くるくるっと舞ってみせて会場を沸かせた。観客席には、24年前のソウル五輪金メダリストの佐藤満さん(50)がいた。米満は佐藤さんに近寄り、固く固く抱き合った。 (森田景史、田中充)

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男子フリー66キロ級で優勝し、コーチに担がれガッツポーズする米満達弘=エクセル(共同)


米満選手、金メダルおめでとうございます。クラッカー

柔道出身なのですね。

いやはや、お強いです。

身体がとても柔らかく、足首を開脚したまま、正座ができるくらい、また腕のリーチも、身長よりも20センチも長い、恵まれた体格なそうですね。(腕のリーチは、普通、身長と同じ位なそうです。)

24年ぶり、男子レスリングの金メダルでした。

会場では、ソウル五輪で金メダルに輝いた方と握手していました。

米満選手、努力と根性、そして感動をありがとうございました。ヾ(@^(∞)^@)ノ



↓米満選手、金メダルおめでとうございます。(^-^)/

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