伝兵衛のぶらり街歩きシリーズ
「稲岡神社~人丸神社」JR余部駅
船越神社を後にし、再び国道二号線に出て、夢前橋を渡る。
夢前川は播磨五川の一つに数えられる河川。
川沿いに建つ道標から旧街道に入る。
街道には古い建物が残っていて、播磨らしい雰囲気を感じさせてくれる。
右側に一の鳥居が見えた。社標も建っている「稲岡射目崎(いなおかいめさき)神社」。
ご祭神は、豊受姫大神と射目崎大神の二柱。応永年間(1395~1428年)に一社殿に祀られた。
播磨風土記に記されている十四の丘の一つである稲岡山を背にして立派な社殿が建っている。
拝殿。
社宝である文政十三年(1830年)お陰参り図絵馬。全国的に流行したお陰参りの雰囲気をよく表している。
延宝三年(1699年)神馬図絵馬。
元禄十二年(1697年)神馬図絵馬。
本殿。
社殿向かって左には、金刀比羅神社がある。
金刀比羅社本殿(旧本社本殿)。貞享四年(1687年)と元禄十一年(1698年)造営の銘が残っている。
向かって右には、白幣稲荷社。
市杵島姫神社他三社が祀られている。
稲岡山の北側へ歩くと、人丸神社があった。
明石の柿本神社(旧人丸神社)と同じく飛鳥時代に宮廷に使えた歌人・柿本人麻呂をご祭神とした神社。
播磨守となって、この地に住んだことなどにより、社殿を建立したものである。
有名な歌碑が建っている。昭和48年に明石の柿本神社が挙行した「人麻呂1250年祭」に併せて建てられたもの。この歌は、播磨鑑に残されている。
この歌に出てくる「浅陰沼」は、この神社の向かい側だったようであるが、今は沼の面影はなく公園になっていた。
周囲にはまだまだ興味深い史跡がありそうだが、暑さ、年齢を考慮して、今回はここで撤収。
帰りは余部駅から。
余部駅にも、こんな記念碑が建っていた。矢落の森。
稲岡山、夢前という地名とのつながりがわかる。
アクセス:JR姫新線「余部」駅下車徒歩約十五分程度