「厄神」駅周辺歴史散策~加古川市~ | 播磨屋伝兵衛ブログ

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「厄神駅周辺歴史散策」~加古川市~

 

前回(104回)に続き、JR加古川線「厄神」駅です。

加古川駅から西脇市を経由して、谷川まで続く加古川線の沿線は、どの駅で降りても古代から近世までの歴史の一端に触れることができるのが魅力です。

今回は、宗佐厄神八幡神社の行き帰りに立ち寄った厄神駅周辺をランダムにご案内します。

駅北口を出てすぐ西側には、防火の神様である愛宕宮がありました。

西南方向に見える小山には、宮山農村公園が整備され、その中に「宮山遺跡」があるとのことで向かってみました。

縄文時代から平安時代までの住居跡や古墳群などで構成される遺跡に興味津々だったのですが、訪れた時期が悪かったのか、一面夏草が生い茂っていて住居跡や祭祀跡は、まったく見れませんでした。残念!

後円部直径約40mの前方後円墳・宮山大塚古墳とその周囲にある六基の円墳のいくつかは見ることができました。

公園からは、厄神の街並みが一望できます。

山裾に、「上西条八幡神社(天満宮)」がありました。

立派な鳥居、山門もあり、歴史と風格を感じさせる佇まいです。

詳しいことは不明ですが、応和二年(962年)の建立の古

社とのことで、宗佐厄神八幡神社との関連もあるものと思われますね。

秋祭りでは、上西条と宗佐の練り合わせも行われています。

境内にあった佐久良魂神社。

初めて見る神社名。これも、詳しいことはわかりません。

集落の中を歩いていると、「末澤大明神」を発見。

日本にただ一つの「末澤」名だそうです。

天文五年(1536年)に沼田明神として祀られたのが創祀で、その後、若宮明神となり、寛延年間(1750年頃)に姫路藩の百姓一揆がこの地から始まった責任を問われ、名無しの神社になっていたそうです。

昭和になってから、「末澤」となったとのことですが、その根拠はなく、末澤という祭神もいらっしゃらないそうです。

街中には、石像や地蔵さんがそこここにありました。

駅へ向かう途中の公園の片隅にも「愛宕宮」。

厄神駅北口から宗佐厄神八幡宮へ、そこからぐるっと

回って厄神駅へ。三~四時間のぶらり旅でした。