24日午前伯母が他界しました。今夜通夜でした。伯母との思い出は子どもの頃まで遡ります。豪快な性格で、口から先に生まれてきたと言われるような人でした。
息子がふたりいます。しゅんすけの従兄弟です。兄は一つ年上で、弟は一つ年下、まさに同年代です。
兄は医大に合格したと意気揚々として上京しましたが、医師の国家試験に落第してしまいました。それから親戚の集まりにも顔を出しませんでした。
弟は名前も知らない大学に何年も浪人して合格するも就職せず、今度は歯科技工士の専門学校に入るも職にできず、挙げ句30過ぎて歯科大学を目指すと言い出すも合格すらできません。全てを親のせいにしていたような、いわばダメ人間でした。
伯母と弟は長年共依存的な関係にあったのではないかと思います。40過ぎた息子の生活費を面倒みていました。
テキパキと笑顔で話す兄と、ハンカチを手にして祭壇の前から動かない弟。しゅんすけは弟に励ましの言葉を選びながら声をかけてきました。
また会いましょうと。
実は20年以上会っていなかったのです。本当に久しぶりに出会った従兄弟。あまりにも長い歳月が子どもの頃の関係には戻しません。
想ったことがあります。
たとえ親であっても離れて住んでいた兄と、連れ添うように生きていた弟では、悲しみが違うのだろうと。
伯母もあれだけ悲しんでくれる息子がいてよかったのかもしれません。ずっと無職のダメ人間かもしれないけれど、涙を見ていたら人が腐っているわけではなかろうと。
少なくてもいいから、喜んだり悲しんだりできる人がいるのはいいことだと。
ところで恐ろしくご無沙汰していた礼服はバブル期のデザインで着ることができませんでした。これも時の流れですね。