先週からずっと三歳の息子さんが体調不良で保育園をやすんでる。こうなるといろいろ予定が狂ってくるもの。その中でなんとかしていくしかないのだけれども働く父、母は大変ですよねそういう時。病児保育の充実も望むところですが、本当は、こどもが病気の時に親がそばにいてあげられるのが一番なんですよね。

こどもが弱っている時に、一番もとめてるのは、親ですもんね。

そんな調子を崩した我が子に数日間べったりだったわたしは、なんだか自分もちょっとやばい感じです。

今週は高校生、小学生、中学生と連続で入学式ウィークでした。

わたしは塾の先生をしているので、全部の新一年生の入学前の春休みを見ていましたが、

やはり一番大変なのは初めて「一年生」というものになる新小学一年生でした。


両親が働いている場合、保育園に籍があるのは3月31日までのため、それ以降から

小学校に入学するまでの約一週間は、だれもみてくれる人がいない子の場合は一人自宅待機。

でも、まだ6歳の子が一人自宅待機って。近くに祖父母がおられるところはみてもらえますが、

そうじゃないところは、朝、子どもを家に残して出勤。休憩のときに電話してみて様子を見る。

そしてこどもは家の中でひとり親を待つ。仕方のないことかもしれないですが、これって親子の

両方にとって精神的に負担がかかる状況です。

実際、自分の子どもが小学校に上がる前に同じことを思いました。うちはたまたまわたしの仕事が

家でやる自営業なので、べったりとは一緒にいられなくても、一緒に家にいることはできましたが、

やはり周りの家庭の中には、「仕方がないから、家でひとり留守番させる」と言われているところが

ありました。

どの保育園も同じではないでしょうが、うちの子どもたちが通っていた(通っている)保育園は本当に

愛のある接し方をしてくれていて、だからその昼間のその安心できる空間を突然、断ち切られ、一人家で、親が帰ってくるのを待つ子どもたちに課せられるであろう精神的不安は大きいのではないのだろうか、と思い、

これってなんとかするべきことなのでは、と思いました。

が、当事者ではなく、その状況から離れるとそれはそれで違うまた別の問題点が浮上してきて、

そちらに心奪われていましたが、今また、身近にその問題をみてしまうと考えてしまいます。

6歳の子が、誰かが自分のためにそばにいてくれない、と感じるのは本当に不安で苦しいことだと

思います。これだけ核家族が増えている中、これを解決するにはやはり、人とのつながりだと

思うんです。どういう形であれ、つながりがあれば面倒くさいこともあるけれど、助けてももらえる。

そのつながりは家族であったり、親戚であったり、友人であったり、ご近所さんであったり。

ひとりじゃなく、そのつながりがあれば変えていきたい現状って、ひとりで奮闘するときより、

ずっと、はやい速度で解決方法にたどりつけるように思うんです。


こどもがいると、本当にいろんな問題に出くわし、また一人のときは感じなかった、

ある意味弱者への不条理も感じるようになりました。だから、その分、いろいろな

問題に目をむける機会もできました。

だから、子どもって時間的拘束とか、肉体的疲労とかの原因にもなりますが(笑)、

それ以上にいろいろなことを気付かせてくれる、本当に自分の成長にも欠かせない

方たちです(笑)


この自宅待機な新一年生問題のことをみなさんはどう思いますか?

春なのに~♪
柏原よしえじゃないですが、ってこれまた古っ!
でも結構いい歌、歌ってましたよね。花梨(漢字だったかな?)とか大好きでした。「春なのに」も結構、名作でしょう、この卒業入学シーズンに関する歌の中で。
で、結局わたしの春なのに~は、春なのに寒いということです。先週末、花見に行ったときも寒くて、頑張ってビール飲んでた感じです。
花見は毎年ほぼ恒例となった、こどもの保育園つながりのみんなと開催しました。この集まりって本当に心地良くて。それはきっとそこが、大人だけの繋がりでもこどもだけの繋がりでもないからだろうなとつくづく思います。
こどもができてラッキーなことのひとつに世界が広がることがあります。この子たちがいなかったら決して知り合うことはなかったであろう人たちとの出会い。感謝感謝です。


しかし、やはり春なのに寒いのでもう休みまーす。
目も半分以上閉じてきてますのでひとまず退散。
すやすや、が~が~眠っているかわいい我が子たちの間にすべりこみ、一緒にが~が~眠りま~す。
おやすみなさい。