我楽苦多通信 -30ページ目

我楽苦多通信

なんやかんやつらつらと。

「舟を編む」という小説が存在することは、たぶん本屋に並んだ時から知っていたと思う。三浦しをん氏は以前から気になっていた作家ではあるけれど、未だ手にしていない作家でもあり、映画をするなら先に映画を観てみようと。といいつつ、劇場ではなくテレビでやっていたのを録画して観たんだけど。

 

 

最初の印象は地味で暗い。松田龍平演じる主人公の馬締さんがやたら暗く演出されていたような印象があった。

全く個人的なんだけど、画面が暗い映画はあまり好きじゃなく、この物語に対する興味が薄れてしまった。

アニメ化されるというのでてもう一度観てみたんだけど、やっぱり暗かった。
で、アニメのほうだけど、 岡崎体育氏の歌うOPが軽快なせいか、はたまた画面が明るいせいか、映画の時とは違って割と明るいという印象。

相変わらず馬締さんは暗い感じだったけれど。

映画もアニメも見終わってからずいぶん経つので、頭に残る印象でしか語れないんだけど、映画は主役の二人馬締さんと宮崎あおい演じる香具矢さんの関係に重きをおいていて、アニメのほうが辞書作りに重きを置いていたんじゃないかと思う。

 

 

 

二作が全く違う印象をだったから、これは原作読まねばと原作購入に本屋へ走ったのだった。

記憶をたどりよくよっく考えてみると、本を購入したのが去年の九月より前である。ところがだ、まだ一ページも読んでいないという体たらく。

読んでないどころか、実は開いてもいなかったのだ。

言い訳をするならば、その後に買った本のほうが興味深く、そちらを優先しているうちに、すっかり忘れていたのだった。

今読んでいる「美しい星」が終わったら絶対読もう。絶対だ……、いや、たぶん。。

 

 

 

 何年か前から神社の御朱印を集めている。京都の平安神宮から始まって、まだまだ十九しか集まっていないのだけど、地図を見ながら有名無名を問わず、ぼちぼちと。

 

 

 ↑書店で見つけたこんな本を買ってはみたものの、今とのこと日帰りで、且つ用事のついででの収集なので、この本に載っているようなところにはまだ行けていない。非常に残念。

 今回はあながち用事のついでというわけではないのだが、それでもお昼に約束があったのでそれまでに収まるようなプランを組んだ。

 以前四天王寺でもらった聖徳太子ウォーキングの行程表を参考にして、空堀の辺りをぶらぶら行ってきた。

 空堀界隈は以前に一度来たことがあり、もう一度行きたい店も何軒かあったのだけど、約束は梅田だったので今回はパス。

 目的は神社めぐりなので、よしとする。

 ちらしの行程表では森ノ宮→玉造なのだけれど、約束があるので、逆に玉造の方から森ノ宮に向けて歩く行程で出発。

 

 朝の十時、玉造の駅に降り立つ。駅から商店街を抜けて歩くこと五分。すぐに最初の神社、三光神社に着いた。

 

 神社でもらった紹介のチラシに秀吉が城の南にあたる三の丸の外に空堀を設けたとあって、空堀の地名はここから来たのか、とよく知れべもしないでそんなことを思ったりした。

 あと、ここから大阪城の砦まで通じる地下の抜け穴を作ったと言い伝えられているとのことで、万城目氏の「プリンセス・トヨトミ」はこういうところから生まれたのだろうかと、思ったりもした。

 

 

  ちなみに「プリンセス・トヨトミ」は映画化もされていてとても面白かった。個人的には映画より小説のほうが面白かったけど。

 それはさておき、真田幸村の像もあった。隣の公園に続く道に沢山のアジサイが咲いていて綺麗だった。もうちょっと早くに来ていたら、もっときれいに咲いているところが見られたと思う。残念。

 

 

そう言えば七福神めぐりというのがあって、三光神社は寿老人。そこから福禄寿(長久寺)→弁財天(法案時)→毘沙門天(宝満時)→日出大国神(大国主神社)→えびす大神(今宮戎神社)→布袋尊(四天王寺布袋堂)と巡る。一日ゆったりと歩ける範囲らしいので、機会があれば行ってみたい。神社もあるし。

 

 三光神社を後にして森ノ宮に向かって数分、次の目的地玉造稲荷神社に着く。

 結構広い神社。

 

 豊臣秀頼公の銅像があって、その秀頼の顔がなんだか可愛らしい。写真には撮らなかったんだけど。

 稲荷神社だけに当然お狐様がいて、その中の一一体が今まで見たことないような、すごくきりりっとしたハンサムなのがいて、ちょっと見惚れてしまった。(笑)

 

 ここは安産のご神徳があって、妊婦さんが参っていた。

 先の三光神社もそうだけれど、それなりに大きな神社だと平日でもポツリポツリと参拝する人がいるんだね。外国の人もいた。観光客じゃないかもしれないけど。

 

 ここからまた数分歩いただけで、次の神社へ。

 鵲森宮、かささぎもりのみやと読む。聖徳太子がお造りになった神社だそうで、御朱印にも「聖徳太子創建の宮」とハンコが押してあった。

 

 

 そして最後に大阪城内にある豊国神社へ。これまでの神社は割と近くにあったので十分も歩かずしてついたのだけれど、豊国神社へはちょっとかかってだいたい二十分弱ほど歩いた。

 ここは豊臣秀吉公、秀頼公、秀長卿をご祭神とする神社。

 大阪城へ来るときはいつも大阪城公園駅のほうからはいるので、ここまで来るいことはめったになくて、というかこの日で二度目だ。たぶん。

 

 雲一つないいい天気。全く人は画いないようにみえるんだけど、後ろには人が大勢いてたまたま目の前に誰もいなかったときにパチリと。

 二枚目を撮ろうとしたときにはもう、人がパラパラと歩いてきてあまりいい絵ではなかったので、撮るのはやめておいた。

 このあと、大阪城公園駅に向かって歩く。右手にお城が見えたのだけど、今日は寄らず天守閣を横目に見つつ駅に向かった。

 途中堀の中を金ぴかの屋形船が走っていた。堀の中をこんな船が走っているのは初めて知る。機会があれば乗ってみよう。

  もらった御朱印。写真の写し方が悪くて恥ずかしいんだけれど。

 

 半日、時間にして二時間ほどで四つも回れたのは、なかなか効率がいい。この日は天気も良くて暑かったのだけれど、神社の中というかまわりは木々でおおわれているから、あちこち木陰が出来ていて心地よい。

 それにどこの神社もきれいに手入れされているから、観ていて楽しいになんか落ち着く。

 

 大阪城公園駅からは電車で一気に移動し、お肉とパスタのお店でランチを取ってから帰路についたのだった。

 料理の写真を撮るの忘れちゃったんだけど、前菜のサラダの量も多くてお肉は国産牛のステーキ100グラム。量としては多くないんだけど、足りないって感じは全然なかった。若い子、特に男子だったりしたら、ちょっと物足りない量だろうけど。

 焼き具合が絶妙で美味しかった。めちゃくちゃ。

 

 このあたりは路地もあるし古い家もあって、歩いていて楽しい。

  こういう道に鳥居があって真ん中なのにも関わらず、保護して残しているのってなんだかいいなあって、いつも思う。

 

 レトロ写真アプリで撮ったら、下手くそが誤魔化せていいね。(笑)

 

 

映画の原作。三島作品は実は一冊もよんでいないのだけれど、難しい話を書く人と勝手に思い込んでいた。

 映画の予告を観た時、覚醒した火星人やら金星人やらが出てくるSFチックな話で、これが三島由紀夫原作!?

 読まねば、となったわけなのだ。

 映画の方はと言えば、すごくよかった。見終わってすぐに、もう一回観たいと思えるぐらい。

 

 

千葉氏はTwitterでフォローさせてもらっていて、この本の宣伝ツイートをしていたし、この本の感想ツイートもRTとしておられて、面白そうだったから。

 

 

 

この二冊は完全な衝動買い。本屋をぶらぶらしていて、つい買ってしまった。

「生きるとは~」のほうは対談なのだけれど、河合先生の本はもともと好きでよく読んでいたし、小川氏の本は二冊ほどしか読んでいないんだけれど、話し方が好きなので。

それに、字が大きくて読みやすそうだったし。

 

「絶望を生きる~」のほうは池田氏の没後10年を記念しての本で、今までの著書の中からの抜粋なので一度は目にしている話ばかりだと思うのだけど、やっぱり買ってしまった。

もう10年もたつのだと、時の速さに驚く。

そう言えば河合先生もお亡くなりになったんだよね。

 

積読本がまたまた増えてしまったわけなのだけど、ちょっとずつでも消化していこう。

ほんとは一気にだだだっと読んでしまいたいのだけれど、時間とおつむの関係で、なかなか読み進められない。

時間はともかく、読解力というか頭の回転がもう少し速くならないものか。我ながら情けない。

とほほ。

 

 

というか、なんでだろうと常々思っていることなのだけれど。

例えば、医療現場で。

体調不良で病院へ行き、いくつまわっても原因がわからず、ようやく原因やら病名が分かった頃には手遅れで、という話をたびたび聞く。

専門外はわからないというのは仕方がないとは思うのだけれど、こういう症状の時はこの病気かも、というのはあるはずで、それが奇病であろうとなんだろうと可能性として頭の隅にでも置いとくべきじゃないのかなって思うんだけど。というか、そういう情報は共有してないの?医者の勉強不足なのか、忙しすぎて勉強する暇がないのか。

後者ではないかと思いはするけれど、それならそれでそれを解消するシステムなりなんなりを構築できないものだらろうか。

今回目にしたニュースでは、患者さんは有名声優の方で、その方はたまたまメディアで活躍している人だったから、こういう病気で命を落としました。こういう経緯で病気が分かりました。ということを公表し注目を浴びたのだけれど、これが一般市民だったらきっと、世間には知らされぬまま終わる。

たまたまその病気を知っていた、もしくはすべての可能性を鑑みて検査してくれる医師に当たらない限り、治る確率がぐっと減る。

こういうのって、本当にどうにもできないことなのだろうか。

 

もう一つ。発達障害についての番組を見た。

発達障害というのは、自閉症が主なものだと思っていたのだけれどそうではないらしく、音が苦手だったり光が苦手だったりあるそうで。

今日出ていた人は、障害のせいで食べられないものがあるということ。それは好き嫌いとは我儘とかそう言うのとは全く関係ない。

子どもの偏食を専門外の人が見て、それがただの好き嫌いなのか、障害のせいなのかと判断することは無理だと思う。

だけど給食の時に、食べられないからといって食べるまで残されたとか、そう言う話を聞くと、なんで情報が共有されないのかと思う。

もし学校が勉強だけを教えるところだとすると、生徒が給食を残そうがどうしようがほっとけばいいことだし、それも含めての学校教育だというのなら、なぜ食べられないのか、家ではどうなのか、そういう事を密に先生間で共有するとか、保護者に詳しく事情を聴くとかできないのだろうか。

ある学校ではちゃんとやって居たりしていて、そういういいことは市町村の枠を超えて共有できないのだろうか。

これまた先生が忙しすぎるとか、そう言う事情は分からなくもないけど、可能性の一つとして頭の片隅にでも置いておくことはできないんだろうか。

 

現場の内情を詳しく知らないからよくわからないけれど、外から見るとなんでだよーと思うことが多すぎる。

 

と、今朝テレビを見ていた思ったのだった。