京都2日目そして岡山で大典白菊の日 | 生臭坊主の独り言

京都2日目そして岡山で大典白菊の日

最近、あんまりお酒が飲めなくなったんで、昨晩の酒が朝まで残っているようなことはありません。目覚めは爽やか。しかも、早起きときた。今日は完全フリーの日。自分の行きたいところへ行こうという算段。なので朝早くから行動開始。そうしないと今日は午後から雨が降るみたいじゃから。

京都タワー。いまのところ快晴じゃ。まずはJR奈良線に乗りまして宇治に向かいました。

降りた駅は、黄檗。そうです、黄檗宗の黄檗。ということは行き先は、黄檗山萬福寺。黄檗宗の大本山であります。ここに来たかったのは、母方の菩提寺が黄檗宗であるからではありません。どことなくエキゾチックで、日本にはない、中国式のお寺であることに興味を持っているからなんです。

17年ぶりでも道は覚えているものです。住宅地の中を通りましてね、総門前に到着。

総門。見るからに中国って感じですよね。

萬福寺というのは、江戸時代に徳川将軍家が中国福建省の黄檗山萬福寺の住持であった、隠元禅師を招請し、京都宇治の地に寺領を寄進して開かれたお寺。禅宗の系統からいうと、臨済宗ですね。隠元禅師という方は中国からいろんなものを持ってきたのでも有名。孟宗竹、インゲン豆などの食材。お経の印刷技術では、明朝体とか、のちに原稿用紙となる形とかですね。すべてが中国式なんで、支那禅(今は中国禅という言い方をしてますが)といわれ、お経も中国語読み、そして所作も中国式なんですよ。お坊さんはお経を立って読まれるんです。お経なんかは梵唄といってね。これに興味を持ったのが若き頃の生臭坊主。CD買ったぐらいですから。そういえば、中国式の精進料理である、普茶料理も有名ですね。

参道を進みますと、コレを発見。

京都のどっかの禅寺にもあったような。真ん中の四角い穴を、口という字とみて、上には五、下には足という字の下の部分。右には唯という字の作りの部分。左には矢という字。これを読み下すと、吾(われ)唯(ただ)足るを知るとなります。

放生池。禅宗のお寺には必ずありますね。

立派な三門です。

禅寺ですので、「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」の石塔がありますね。昨日の酒は残ってないし、ニンニクも食ってないから大丈夫でしょう。いつものように、「法華宗沙門 生臭坊主罷り通る。」と発して三門をくぐりました。

これも禅寺ならではですね。鎮守社があります。萬福寺は八幡様でした。まっすぐ進みますと、これまた中国らしい天王殿があります。

真ん中に鎮座ましますのは、布袋さん。中国の実在した禅僧なんですが、中国では弥勒菩薩の化身としてあがめられているとか。

その裏側には、韋駄天さん。昔インドで、お釈迦様のご遺骨を鬼が盗んでいったとき、韋駄天走りで奪い返したといいます。

今日はね、きらびやかな飾りつけとなんだか騒がしいんです。それもそのはず、台湾のお寺の方が萬福寺で法要をされちょったんです。萬福寺も中国語読みのお経ですけど、完全な中国語じゃなくて、カタカナ中国語。でも、さすがは本場、台湾のお坊さんたちじゃ。歌のような中国語のお経が流れてました。耳に心地いいんで、ずっと聞き入ってました。

大雄宝殿。いわゆる本堂ですね。ご本尊のお釈迦様のまわりに十六羅漢さんの像が安置してあるんじゃが、法要中のため、みることができませんでした。

立つんじゃなくて、膝をついて中腰の状態でお経を読んでおられた。その足は靴を履いておられたのは笑った。

馬にまたがった人形は何を意味するんじゃろうか。

大雄宝殿の向こうにある法堂でも法要が営まれていました。

中央の石の所が、戒律を犯した坊さんが懲罰の坐禅を組まされる所。

四角い石がならんでいるのは、龍のうろこを表しているそうな。

萬福寺の蓮はまだつぼみじゃった。

帰りがけに気づいた句碑。「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」そりゃ、山内は完全な中国の風景ですが、門から外にでれば、宇治の茶畑が広がる純日本の風景だったでしょうからね。

ここで萬福寺参詣は終わりと相成りました。

 

さあ、宇治まで来たら、次どこへいこうか。伏見のお稲荷さんに行きたいけど、あそこはお山をお参りすると相当な時間がかかる。そういえば、東福寺に前々から見たいものがあった。

ということで、電車に乗って東福寺駅で下車。

東福寺の三門。東福寺は臨済宗東福寺派の大本山。聖一国師円爾弁円禅師が開いたお寺。聖一国師といえば、博多祇園山笠を始めた人ですよ。

東福寺は秋の紅葉の頃に一度だけ来たことがあります。紅葉の名所ですからね。その時は全く知らなかったんで、スルーしていたんですが、実はこのお寺にはお祖師さまの足跡があるんです。

境内にあった防長忠魂碑。このへんは戊辰の役の舞台なんでね。山口県民としていちおう手を合わせておこう。

やっぱり東福寺にも鎮守社がありました。

で、三門の奥に仏殿があるんですが、その中に目的のものがあります。けど、普通は仏殿内には入れないんです。たぶん、直接は見えないだろうと思ってました。

ということで三門と仏殿の間にある、祈念碑です。「日蓮柱之碑」とあります。東郷平八郎元帥の字ですね。まあ、これで我慢するかなあと思ってました。

お祖師さまがお若い頃、立教開宗する前ですね、鎌倉や比叡山を中心にして関西の大寺院で御修行をなされたんです。その間に、円爾弁円禅師の元でも御修行をされたようでして、お世話になった、円爾弁円禅師が京都に東福寺を建立されると聞いた、お祖師さまが仏殿の柱を一本ご寄進なされたという。お祖師さまはのちに禅宗批判をされるようになるけど、それは御修行の結果であり、御修行のときに世話になったというご恩はお忘れになっていなかったのだと思います。

とりあえず仏殿まで行ってみました。もちろん、お堂の中には入れません。たしか、建物の巽(東南)の方角の柱なんですが。

お堂の正面の扉から仏殿内部が拝めました。

発見しましたよ。

隅の柱です。日蓮柱と書いてありました。

お祖師さまが寄進されたというにはちょっと新しいなあと思ったんです。実はコレは2代目らしいです。東福寺が明治時代に火災に遭い、再建されるときに、日蓮門下の方々が同じ位置に柱を寄進されたそう。また、それを認めてくれた東福寺側もすごいですよ。

東福寺のハスの花は咲いてました。ハスの花は見てると落ち着きますね。時間があれば、方丈のお庭とか、通天橋とかも見たかったけど、空が曇ってきましたので、慌てて東福寺をあとにしました。

帰り道、臥雲橋から通天橋が見えました。紅葉の名所ですよ。

一旦、京都駅に戻りまして、地下鉄で市役所方面へ。さあ、能山に行こう。

法華宗本門流大本山 本能寺であります。織田信長の本能寺の変で有名ですね。こちらは法華宗本門流。昨日、お参りした、うちの本山は、本門法華宗。もともと一緒なんですけどね。歴史的にいろいろありまして・・・。

能山というのは本能寺のこと。ちなみに妙蓮寺は蓮山といいます。

山門が寺町通り側ですね。そこにある、お祖師さまの像。辻説法をなさっているお姿でしょうか。

本堂。くやしいけど、こっちの方が大きくて立派ですね。いつも本堂の中も自由にお参りできるんで、中に入って、御開山日隆大聖人へ本門八品の御題目をお唱えさせていただきました。

本堂の裏手には、本能寺らしいものがあります。

織田信長のお墓、信長公廟。ご承知のとおり、明智光秀に襲撃され、本能寺は全焼。織田信長の亡骸も出てこなかったんです。なので、こちらのお墓には愛用の刀が納めてあるとか。また、お隣には、本能寺の変で戦死した信長の家臣たちのお墓もあります。

歴代廟。お祖師さまを始め、本能寺の歴代の住職のお墓です。みつけられませんでしたが、うちのお寺の開基上人もこの中にあると思うんですけど。

宝物館を見学して、本能寺のお参りも終了。さあ、ここからが地獄の始まりでした。それは結果論でありまして、この周辺で買いたいものがありまして、実は楽しみだったんですよ。

本能寺の前からスタート。

かに道楽の前。寺町通りもここでちょこっと曲がってます。まっすぐじゃないんです。途中、お数珠屋さんと仏具屋さんに立ち寄りました。

まだまだ続きます。腹は減ってるしヘトヘトです。

錦天満宮。鳥居の端が両脇のビルの壁に突き刺さってます。お参りの人は外人さんばっかり。

御本殿の脇の絵馬の奉納所。中国語、ハングル、アルファベットばっかり。神頼みは世界共通になったんでしょうかね。

目的の一つ、錦市場。行きたかったところの一つですが、寺町通りに交差して横に行くんです。これもあとで大事になるんですよ。あらかじめクーラーバック持参で京都にきました。今時期ならハモかなあ。でも、17年前とは様子が違うんです。

包丁で有名なお店。生臭坊主も何か一つ買おうと思ってお店に入ったんですが、店内は外人さんばっかり。たしかに日本の包丁は切れ味抜群ですからね。有名なシェフの方も買いにくると聞いてはいたものの、こんなに多いとは。時間がないのでやめました。

市場というから、通りの両側には野菜とか魚とか、漬物とかですね。食料品を売るお店が並んでいたのを記憶してます。ところが、皆無じゃないですけど、そういうお店が少ないです。観光客目当ての食べ物屋がほとんどなんですね。春ならタケノコ、秋は松茸。ウナギとか川魚とか、珍しい物がいっぱいあったんですけどね。もう買うのをやめました。

でも、今歩いている通りをとにかく抜けなければなりません。

途中、お腹がすいたんで、道ぞいにあった、万豚記という中華料理屋さんへ。この屋号って広島にもなかったかなあ。

麻婆豆腐定食を注文。四川麻婆豆腐とありましたけど、これは違いますね。タマネギのみじん切りの入った麻婆豆腐に出会いました。空腹は最高の調味料であります。食えるじゃないか。

定食といってもご飯とスープだけ。まわりを見渡すと、わりと外国の人が多かったですね。しかも中国の人。韓国の人は顔つきですぐわかるけど、中国の人だとちょっと日本人と見分けがつかないときがあります。でも、決定的なのが食事の様子なんですよ。まずはお箸の持ち方。いわゆる握り箸。見た目ですけど、ほんとに握っているように見えます。生臭坊主は子供の頃、親からキツくしつけられたんで、こういうところに目が行くんですよ。日本人でも気になるんです。

それと、かならずおかずをご飯に乗っけて食べるのが中国の人。もちろん、全員が全員じゃありませんよ。

 

食事を済ませ、また歩き出しました。最後の目的地があるからです。その目的地まで本能寺のところから寺町通りをまっすぐ行って四条通りに出て、それを鴨川方面に歩けば、そう大した距離じゃないんです。ところが、錦小路を最後まで歩いたもんですから、鴨川方面からいうとどんどんどんどん離れていったんですよ。錦小路のどんづまりが高倉通り。大丸があるところね。それを四条通りにぶつかるまで歩いたんです。そこからですよ、鴨川に向かって歩いたんですけど、歩いても歩いても相当な距離でしたね。カバンを肩に掛けているから肩も痛いし。足も痛い。

到着したのは寛永堂という和菓子屋さん。生臭坊主は京都に来ても、自分が菓子を食べないんで、お土産は滅多に買わないんです。そしたら、いつもの居酒屋さんのバイトの子が、「まろのおみた」というお餅がうまいと教えてくれたんです。長いこと京都も通ったけど、生臭坊主も知らない。そのお餅を買いにきたというわけ。

運良く、その、まろのおみたというお餅をゲットし、今日のミッションは終了。あとは岡山に帰るだけ。

和菓子屋さんのすぐ近くが木屋町筋ですよ。先斗町ですね。

鴨川には納涼床がならびます。まだ明るいのでカップルが等間隔にならんでませんね。ここらへんで雨がぽつぽつ。慌てて京都駅に戻り、新幹線に乗りました。

途中、土砂降りですよ。岡山はどうなんじゃろう。

岡山に着いたら、雨が止んでました。荷物もあるし、ラッキーってことで、いつもの居酒屋さんへ向かいました。

途中、ある居酒屋さんの水槽にアコウがいました。先週、釣りましたので、こんな小さいアコウをどうするんじゃと言えますね。

 

では、京都帰りの大典白菊の日であります。「まろのおみた」を買ってきてやったぞといいながら入店。

お通し。

イサキのお刺身。

ブトエビの唐揚げ。ビールに合います。

ステーキのハーフ。

大典白菊にチェンジ。今日は子持ちシャコ酢とあわせました。

そして、最後に京都で買ってきた、まろのおみたを生臭坊主にも味見させろってことで。

日持ちが1日しかしないらしい。うまかったですね。簡単に説明すると、みたらし団子の逆バージョンというか、団子の中にみたらしのタレが入っているんですよ。

これで本日の大典白菊の日は終了しました。

はい、本日は23254歩でした。そうとう運動したね。これを毎日続けると痩せるんでしょうけど。