福山に行ってきた(麻婆豆腐2連チャン) | 生臭坊主の独り言

福山に行ってきた(麻婆豆腐2連チャン)

あれ以来、ずっと考えているんじゃが、何で部屋の中にコウモリが飛んでいたんじゃろう。絶対ありえん話じゃなかろうか。どこをどう探しても、入り込む隙間や穴はないんじゃが・・・。わけわからん。

昨日はご飯も食わず、何もせず、一日中、寝たり起きたりだったけど、今日は違った。どうしても行きたいところがあるんでね。午前中から行動開始。行き先は、福山ですよ。

あいにくの雨の中、高速を使って福山へ。まずは腹ごしらえということで、駅家にある、又来軒の本店を目指した。福山に勤務していた頃は、駅前のニューキャッスルホテルの地下のお店ばっかりで、本店は行ったことがなかったですね。福山を離れてから、数回だけでしょうか。今日の目的地に近いということで本店にしたんじゃが、途中、千田にもお店がありまして、ちょうど道路べりにお店あるんで、横目でチラッとみたけど、やっぱり人が多いなあ。

又来軒の本店に到着。お客さんが多いね。ここはおひとりさま用のカウンター席が少ない。けど、何とか座れました。ザ・町中華って感じで、高級感漂うお店ではないけど、コックさんは中国の人でね、本格的な四川料理ですよ。コックさんも数名いるし、大人数のお客さんをさばける体勢はできちょるみたい。

ここなら本来の又来軒の味が楽しめそうじゃと思い、麻婆豆腐にするか、担々麺にするか迷いに迷った挙げ句、麻婆豆腐にしてみた。

普通の麻婆豆腐定食。敢えて普通の麻婆豆腐と表現したのは、又来軒には陳麻婆豆腐もあるから。ちょっとお高くなるけど、生臭坊主は陳麻婆豆腐を定食にしてもらうことが多かった。それでも、岡山では天満屋の地下でしか味わえない、普通の麻婆豆腐を食えるんじゃないかと思ったから注文したわけ。ただ、ここ数年、ニューキャッスルの地下もそうだし、岡山のお店もそうじゃけど、味がコロッと変わったので、内心、不安でもあった。

間違いありませんでした。これが又来軒の麻婆豆腐であります。見た目、赤いでしょ。お店によって、あるいは、作るコックさんによって多少の違いはあります。辛さもそうだし、花椒の痺れもそう。でも、ベースとなる味はこれぞ又来軒の麻婆豆腐ですね。天満屋の地下で食べる麻婆丼もおんなじ。この味だと、本命の陳麻婆豆腐が食って見たくなりました。もともと、生臭坊主の麻婆豆腐ランキング、第1位だった麻婆豆腐は、又来軒の陳麻婆豆腐なんですよね。(現在は、第3位。今も営業しているお店では第2位。ちなみに第1位は、福岡の中国大明火鍋城。)

小鉢は和え物。酢ものみたいに酸味があり、また、ラー油も入っているからピリ辛。ただ、お野菜だけの和え物ならいいんですが、これは豚の耳が入っちょるんよね。どうも、生臭坊主は豚の耳が苦手でね。でもね、出されれば無理してでも食べるんです。

さあ、腹ごしらえも済んだんで、本日の目的、芦田町下有地の本久寺へ。昔はね、道が入り組んでいて、たどり着くのに難儀したんですよ。今は近くを大きな道路が通ってますから、すんなりとお寺に到着することができます。すぐ近くには動物園。

前回、お参りしたのは、たしか、岡山に転勤が決まった時じゃった。本門法華宗とあるけど、ここは単立なんで、うちの本山とは本末関係はないし、宗門との関係もありません。

お寺というより、普通の家って感じ。普通の家といっても、母屋があって、蔵までありますから、昔の庄屋さんの家みたい。以前は門があったけど、取り壊されてました。

ここはね、特殊なお寺でして、常時、人がおられないんです。住職のお上人は別のお屋敷に住んでおられるし、お寺の行事があるときに、御信者さんがここに集まるんです。特殊だというのはそれだけではありませんで、周辺には法華宗のお寺が数軒ありますし、福山市内にもあります。でも、全く、行き来がない。というか、しないんです。ここらへんでは「八品講」と呼ばれ、近所の人も関わるのを避けておられるみたい。

一番最初にここを訪れたとき、近所の人に尋ねても、「知らん。」といわれたのに驚きました。実はうちのお寺も「八品講」のお寺でしてね。かつてはここと同じように他宗、他門とは関係を遮断していました。先代住職から門戸を開いたと聞いてます。

普通の家みたいだといいましたが、境内というか、お庭には、立派な鐘楼があります。

で、本日の目的は、うちのお寺の第十七世、中興 正導師 太田日信(護国院日信)上人の御墓にお参りするためです。

これが本堂なんですけど、普通の家ですよね。本日も誰もいらっしゃいませんでした。本堂の前で法味言上。回数は少ないですが、もう20年ぐらいですかね、お参りしてますけど、一度だけ、ここで御信者さんにお会いしてます。たしか、太田日信上人の百回忌の時だったでしょうか。その時には、本堂にあげていただきまして、御宝前でお勤めをさせていただきました。いろいろとお話もさせていたいたのを覚えています。女性数人だったんですが、生臭坊主のお勤めの感想として、「お経が短いですね。」とかね。「私たちは八品を2時間10分で読みますよ。」とか。他宗、他門との関係について質問したら、「今はそこまで厳しくないですよ。そうでないとやっていけませんから。」とか言ってらっしゃったのを覚えてます。

続いて、中庭にある、お墓にお参りしました。

護国院日信上人御墓。お堂の中に石塔があります。今日は扉が開いていませんでした。雨が降ってましたが、傘をさして、三品経ですが、お勤めをさせていただきました。

今週末にはうちのお寺に行きますので、ちょっと思うところがあり、歴代のお上人のおひとりである、太田日信上人のお墓参りをさせていただいたというわけです。

うちのお寺というのは、江戸時代初期、寛永年間に開かれたお寺なんですけど、幕末に至って、廃仏毀釈のあおりをうけ、無住廃寺状態だったんですね。そこへ、高松藩御連枝、高松八品講開導 松平左近頼該公のお弟子である、太田日信上人が入寺され、お寺を再興されたんですね。なので、うちのお寺の御本尊、仏像諸尊像はすべて本行公(松平頼該公)から下賜されたもの。そして、長州藩内の八品講の中心になるわけです。

太田日信上人は、お寺に入ってすぐに法難に遭っておられるんです。でも、詳しいことはわかってなかった。不思議な縁といいましょうか、生臭坊主が仕事の都合で、萩の沖、45kmのところにある見島に行ったんです。そこに1軒だけ日蓮宗のお寺がありました。法華寺というんですが、まあ、珍しいなあということでお参りしたんですよ。「防府の法円寺の檀家です。」と自己紹介してですね。当時はまだ得度してませんから。そしたら、そこのご住職が、「ここのお寺は法円寺のお上人が開かれたんじゃ。太田日信というお上人は歴代におらんか。」聞くんですね。そんなもん知りませんから、仕事を終え、防府に帰って、すぐにうちのお上人に聞いてみた。「太田日信というお上人が、見島に島流しになったんじゃって。」

それで明らかになったんですね。言い伝えられていた法難というのが島流しだったとは。そして、流された先が見島ということも。

その後も仕事で何度か渡島しまして、新しい住職から、資料をいただいたんです。山口県知事に提出した、教会所設立の嘆願書の写しだそうです。そこに出てくるんですよ。太田日信上人が。

 

「安政年間、三田尻法圓寺住職大田日信、并ニ西岡源蔵ナル法華信者無実ノ罪ニテ此ノ地ヘ遠島セラレ候。其夏蕎麦ニ悪性ノ害虫発生シ、忽チ数町歩ニ蔓莚シ当ニ枯死全滅セントス。此ノ島民ノ困苦ヲ救フベク悪虫退治ノ祈祷ヲナセシニ、害虫一時ニ退散シテ蕎麦ハ旧ノ如ク蘇生致シ、コノ不思議ナル法益ニ潤ヒシ島民ハ渇仰ノ念ヲ生ジ、日信亦教化ニ力ヲ尽クシテ法華経ノ主義ヲ宣伝致シ、ソレヨリ信仰ニ入ルモノ頓ニ増加シ、其後一人伝道者スラ渡島セシ事無之候ヘトモ、遂年ソノ数ヲ増シ今日ニ至リ候。」

 

要約するとですね、「法円寺住職の太田日信と西岡源蔵(特定できませんが、調べてみたら、久賀の妙法寺の信者さんではないかというところまで調べたんですけど。)が無実の罪で遠島された。蕎麦に害虫が発生し、島民が困っていたところ、二人が祈祷したら、害虫が退散した。島民は驚いて、また、日信上人の布教により、法華の信仰をする者が増加した。しかし、その後、一人の伝道者も島に来ていないが、信者は増加し続け、今日に至っている。」といったところでしょうか。

 

赦されて、防府に戻った太田日信上人でしたが、すぐに、住職をお弟子に譲り、備後の御信者さんである、江草氏をたよっていかれました。そこに出来たのが今日お参りした本久寺ですね。だから、古い形の八品講が生き残っているんでしょう。太田日信上人は、明治38年旧2月21日に高須にてご遷化。御年76歳でした。高須というから、尾道の高須ですかね。

 

太田日信上人のことも研究したんですけど、とにかく資料がうちのお寺にはない。お寺を出られるときに全部持っていかれたのかもしれん。いろいろ調査していると、うちのお寺には十八世住職の覚円坊日純上人が写した、松平頼該公直筆の長州藩中仏立講あての信心法度しかないけど、現物は本久寺にあるみたい。本久寺には、ほかにもいろいろと残っているんでしょうね。

いつも思うんですよ。こんな立派な石の塔婆が建立できるんですから、すごいなあと。普通は精一杯頑張っても木の角塔婆ですね。それと上部に書かれた御題目ですけど、松平頼該公の御題目ですね。独特の筆法なんです。生臭坊主も臨書をしまくってですね、あるいは、上からなぞって書いて、練習したもんです。なので、生臭坊主の御題目も似せて書くようにしてます。

 

さあ、やること済ませたので、久しぶりに福山市内のスーパー巡り。けど、珍しいものは何にもなかった。せっかく福山に来たんで、釣具屋さんにも立ち寄った。そろそろダゴチン釣りの準備をせねば。そうこうしていたら、日が暮れたんで、ちょっと早いけど、晩ご飯にするかと。

もう一回、又来軒、といっても、別のお店ですけど、担々麺を食うってのもアリと思ったけど、別のお店にした。でも、食べるものは、麻婆豆腐。今日2回目。向かった先は、満天香。福山にいた頃に出来たお店じゃが、中国のコックさんが料理するんじゃが、昔はね、割と本格的な四川料理のお店かなあと思ったんですよ。当時、特製麻婆豆腐ってのを注文すると、仕上げに唐辛子と花椒の粉を振りかけて、その上から熱した油をジュワってかけるんです。水煮牛肉の仕上げみたいにね。ところが、ここ最近はちょっと違う。どうも台湾料理じゃなかろうかと思うようになった。麻婆豆腐もちょっと違う。けど、これはこれで食えるけどね。

満天香の麻婆豆腐定食。豆腐がちっちゃいのよね。それとちょっと黒っぽい。辛みとしびれは少なめ。この黒い色はトウチがいっぱい入っているからでしょう。

台湾料理だといっても、お店によって麻婆豆腐は違います。食べやすいといえば食べやすいかもしれんね。

満天香の看板。

 

ということで、福山を後にしました。